くちづけは甘く
2020.05.10.
「しょっぱい」
オーエンがものすごく不満そうな顔で吐き捨てた。
彼がひょいと摘んで口に放り込んだのはオリーブの塩漬けだからしょっぱいのは当然だった。きっと月光樹の実の蜂蜜漬けあたりと間違えたのだろうな、とグラスを傾けながらカインは考える。
二人きりの夜は出だしから暗澹たる雰囲気となった。
シャイロックはどうやら神酒の歓楽街の方にいるようで、魔法舎のバーは休業だった。その夜、カインはどうにも独りで飲む気になれず、ルチルかフィガロでも誘うかと部屋を訪ねてみたが生憎と留守だった。オズやラスティカも不在、ネロは食材の仕入れのために遠出をしている。ブラッドリーは目の前でくしゃみをして、ファウストにはにべもなく断られた。
そうこうしているうちに、オーエンと廊下でばったり出くわしたのだ。
カインと揃いの瞳を意地悪く歪めて笑うオーエンに、この際こいつでもいいかとカインは考えた。
誰かの声を聞きながら、少し賑やかな中で飲みたかった。人恋しかったのかもしれない。それが嫌味でもまあいいか、という気分だったのだ。
オーエンの言葉は内容はともかく、声は聞いていて心地が良い。言っていることは酷くても、ちょっとした歌のようにすら聞こえるほどだ。
だからこそ多くの人間や魔法使いが惑わされるのだろうけれど。
「ちょうどよかった。時間あるなら一緒に飲まないか?」
紅と金の瞳を見つめてそう誘うと、にやにやと薄笑いを浮かべていたオーエンが毒気を抜かれたような表情をした。きょとんと目を丸くすると、彼はひどく幼く見える。
「騎士様は僕と一緒にお酒を飲みたいの?」
「ああ、お前さえ良ければ。甘い酒なら飲めるだろ?」
「……正気?」
自分で言うなよ、と苦笑するカインに、オーエンはしばし考え込んでからこくりと頷いた。
「いいよ、どうせ暇だし。節操なしの騎士様に付き合ってあげる」
「失礼な奴だな。俺は節度は守る」
騎士だからな。そう続けたが、オーエンはつまらなそうに肩を竦めた。
部屋に招いてもよかったが、生憎とオーエンが好みそうな甘い酒はカインの部屋には用意がない。少し考えてからバーで飲むことにした。
魔法舎のバーラウンジは談話室だった場所を改装していて、厳密にはシャイロックの城というわけでもなかった。建前としては魔法舎に住む者であれば出入り自由だ。とはいえ管理しているのはシャイロックなので悪戯が過ぎれば叱られるだろうが、リキュールの一本や二本拝借したところで彼が目くじらを立てるとも思えない。
オーエンはスツールに腰掛けて、カウンターを挟んで向かいにカインが立つ。
いつもはシャイロックが立っている場所で見よう見まねでシェイカーを振ってみた。
チョコレートリキュールのカクテル、蜂蜜酒、赤のルージュベリーのカクテル。
素人にしてはなかなか様になっているだろう。
自身はウォッカやウィスキーを飲みながら心の中で自賛する。次々と甘ったるい酒を供すれば、オーエンは上機嫌に鼻歌まで歌い出した。目元には赤みが差して、ルージュベリーのカクテルがくちびるにも鮮やかな色を添えていた。艶かしく紅から溢れるのは嫌味や皮肉ばかりだったが、杯を重ねるごとに棘がとれて、詩でも聞いているようだった。
けれど塩漬けのオリーブのせいでオーエンの機嫌は見る間に落ちていく。
「騎士様の嘘つき」
「人聞きが悪いな」
「甘いのくれるって言ったのに。ああ、でも最初から騎士様は嘘つきだったね」
「最初?」
「魔法使いなのに、魔法使いだっていうのを隠してた。がっかりしたんだよ、みんなを守る騎士様が嘘つきなんてさ」
なじる言葉を吐きながらも、どこか舌ったらずで幼い子どものようにも見えた。瞳には悲しげな色さえ浮かんでいる。奇妙な傷の方に替わったのだろうかと身構えたが、あちらはもっと無邪気だった。
(こいつ、けっこう酔ってるな)
考えてみれば、オーエンはだいぶ早いペースでグラスを空けていた。誰かと飲むなんてことも無さそうだから、配分を見誤ったのかもしれない。
カインはまだ底に紅が残るグラスをそっと片付けて、シュガーを落とした水をオーエンに差し出した。それからカウンターの下の冷蔵庫にしまわれたチョコレートを一粒取り出す。リキュールと併せてシャイロックには明日謝罪をして代わりのものを買いに行こう。そう算段をつけながらオーエンの口元にチョコレートを差し出す。
「ほら、口直しにどうだ?」
「ん」
親鳥に与えられた餌を啄む雛のように、オーエンのくちびるがチョコレートごとカインの指を喰んだ。やわらかな舌が指先を擽るのに妙な気分になってくる。そっと指を引き抜くと、オーエンは名残惜しそうな顔をしながらチョコレートを咀嚼した。
「騎士様も、口直し」
スツールから腰を浮かせたオーエンが、ぐいと顔を近づけてくる。黒百合の浮いた舌がカインのくちびるを割って口腔に忍び込んだ。
カインもそれなりに酔っていて、近づいてくる美しい顔に見惚れているうちに止め損ねた。
いや、止める気が起きなかったというのが本当のところかもしれない。多少酔っていたところで躱すことなど簡単だ。だけど、そうしなかった。近づいてくる舌の甘さを確かめてみたくなったのだ。
チョコレートの味がする、あとルージュベリーのほのかな酸味。ぼんやりとそんなことを考えていると、オーエンは柔らかく微笑んだ。いつもの薄笑いではなく、どこかあどけないのに艶めいた微笑だった。
呆気に取られるカインをよそに、オーエンは仔猫のようなあくびをひとつ残してカウンターに突っ伏した。一拍置いてから静かな寝息が聞こえてくる。思っていた以上に酔っ払っていたらしい。
くちびるを拭うと手の甲に鮮やかな紅が残る。
結局独りになってしまったことに苦笑して、カインは眠る男を眺めながらグラスを傾けた。
