カイオエ・ワンライSSまとめ - 8/10

白に咲く
2020.05.17.

「うわ」
 クロエが思わず声を上げると「なに?」と少し拗ねたようにオーエンが振り向いた。ガーネットとシトリンを嵌め込んだような両の目が猫のように眇められる。北の魔法使いはきれいだけれどどことなく恐ろしくて、以前のクロエならそうやって見つめられたら飛び上がって後退りしただろう。けれど魔法舎で過ごすうちにきれいで怖い魔法使いたちと話すことにもだいぶ慣れてきた。
「ううん、ごめん、何でもないよ」
「……ふうん」
 今日のオーエンはそれほど機嫌が悪くないらしい。誤魔化すように笑うクロエに、それ以上は追及してこなかった。その背中に巻尺を当てながら、クロエはほっと胸を撫で下ろした。
 皮肉屋の魔法使いはクロエが仕立てる服をどうやら気に入ってくれているようで、採寸の時は比較的おとなしくしてくれる。出来上がった服も「まあ悪くないんじゃない」といつも褒めてくれた(オーエンにとってはたぶん最大級の褒め言葉だと双子の魔法使いが言っていた)。
 賢者様は「悪戯好きの猫みたい」って言ってたらしいけど、ほんとだな。
 仲の良いヒースクリフから聞いた話を思い出す。たしかに人々に恐れられている北の魔法使いもこうしておとなしく採寸されていると、ひなたぼっこをする気まぐれな猫のように思えた。少し微笑ましい気持ちになりながら、うなじから目を逸らしつつ採寸を続ける。
 オーエンはスーツの上着を脱いで薄手の黒いシャツ一枚を羽織っただけの姿だった。
 だから、襟からのぞく首筋がしっかり見えてしまうのは仕方のないことだろう。クロエが何気なく目を向けた白くなめらかなうなじに、花びらのような鬱血の跡が残されているのが見えてしまったのは、もはや事故のようなものだった。
 その赤い花びらがなんなのかわからないほど初心ではなかったクロエは、生々しい情事の跡に思わず声を上げてしまったのだ。けれど訝しげにクロエを見るオーエンは、どうやら己の首筋に残された跡には気付いていないようだった。何を意味するかわからないほど子供ではなくても、それを指摘するにはクロエは純情すぎた。だから曖昧に笑って誤魔化すより他になかったのだ。
 たとえばこれがシャイロックであれば、それほど驚かなかっただろう。
 ドキドキはしたかもしれないけれど、「やっぱり」と思うだけだ。けれど、オーエンは何百年も生きているわりに、どことなく無垢なのだ。世間擦れしていないと言うか、生々しい情愛とは程遠い清廉さがあるように見えた。もちろんそれはクロエの勝手な印象ではあったけれど。
「おーい、クロエ。入るぞ」
 ノックの音でクロエははっと我に返った。カインの声だ。とたんにオーエンが不機嫌そうに眉をしかめた。どうぞ、と返すより早く、無遠慮に扉が開かれた。
 カインは部屋の中に入ると、まずオーエンに目を向けた。厄災の傷で他人の姿が見えなくなってしまったカインが、唯一見えるのがオーエンなのだ。だからオーエンがいると、カインの目はまずそちらを向く。
「ああ、今おまえが採寸の時間か」
「うるさいな、邪魔だから早く出ていって」
「そう言われてもここはクロエの部屋だろう。晶からの言伝を預かってきたんだ。朝からずっと採寸で疲れているだろうから区切りがついたら食堂に来て欲しいってさ。クッキー焼いたから休憩にお茶しよう、だそうだ」
 そう言いながらオーエンを目印にして近づいてくる。オーエンのかたわらで立ち止まったカインの手に、クロエはハイタッチをした。無事に姿が見えるようになったらしく、カインが目元を緩ませた。
「……僕も行く」
 おそらくはクッキーに釣られて、オーエンがぼそりと言った。
 子供じみた仕草に「いいんじゃないか」とカインが笑う。クロエも「終わったら一緒に行こうよ」と言いかけて、はた、と手を止めた。
 すぐ側に立つカインから香るコロンに、気づいてしまった。オーエンからほんの少しだけいつもと違う香りがしたように感じたけれど、これはカインが愛用している柑橘の匂いだったのだ。
 うわあ。クロエは今度は声には出さずに、心の中で叫んだ。
 たぶん顔まで真っ赤になってしまったのだろう。カインが不思議そうに首を傾げた。クロエは困ったようにカインを見つめてから、オーエンのうなじに目をやった。よく見たら歯形までくっきりと残されている。
 つられて視線を向けたカインは、クロエの動揺の理由にすぐに気づいたらしい。人好きのする笑顔を浮かべた騎士は人差し指をそっと自分の口元に当ててみせた。
 内緒にしてくれよ、という意味なのだろう。昼の明るい日差しの中で、いつも朗らかな騎士にはまるで不似合いな隠微な仕草にくらくらと眩暈がした。
「ねえ、早く終わらせてよ」
「ごめん、もう少しだから!」
 思わず手が止まってしまったクロエを、オーエンが不満げに急かす。
 謝りながらもてきぱきと採寸を続けてはいたが、クロエの心臓はドキドキと大きな音を立てている。ああ、心臓が口から飛び出したらどうしよう。なんて心配しつつ、肩から手首までを測り、胴回りを測る。
(その時はオーエンに戻し方を教えて貰わなきゃ!)