Forget-me-not.
2020.05.06.
「大丈夫だよ、僕を誰だと思っているの」
それが最後に聞いた言葉だ。
最初に忘れるのは声だという。降り積もる雪のような、静かで冷たくて少しだけ甘い声を、俺はまだ忘れていない。思い出すたびに擦り減っていくような気はするけれど、それでも時折、忘れていないことを確かめるために耳を澄ます。
目を閉じれば瞼のうらに浮かぶのは、癖のある笑いがおだ。皮肉っぽくも、少し照れたようにも見える。灰色の髪、同じ色の睫毛、血色の悪い唇、蒼ざめた頬、俺と同じ色をした瞳。いつか取り返すと約束したのに結局まだ果たせていない。それでも未だに魔法が使えるのは、俺がその約束を諦めていないからなのだろう。
細い指先、桜貝に似た色の爪。抱き寄せるとその身体の薄さにいつも驚いた。首筋に鼻先を埋めるとほのかに甘い匂いがした。低い体温も、骨張った身体の輪郭も、まだこの腕は覚えている。
けれど十年、百年、千年が過ぎた時にも俺の身体は彼を覚えているだろうか。
それとも、忘れる前に俺が石になってしまうのか。石になった俺の中に彼の記憶はあるのだろうか。
かつて賢者と呼んだ人の世界には、声や姿を記録しておける機械があるらしい。忘れそうになっても、それを眺めたり聞けばいいのだという。
少し羨ましくも思ったが、そんなものがあったら、俺は忘れないための努力をしなかったかもしれない。だからこうして擦り減っていく記憶をおそれながら、それでも思い出そうと足掻くことは、あるいは幸せなことなのだろう。
大丈夫だよ、そう気怠げに笑う声を思い出す。ああ、まだ大丈夫だとも。たとえ千年が経って、何もかも忘れてしまったとしても、見つけ出す自信はあった。簡単なことだ、この両の目と同じ紅と金を探せばいい。そうして見つけ出した時に何も思い出せないなら、最初からやり直せばいいんだ。
だから、俺はおまえを諦めないよ、オーエン。
