カイオエ・ワンライSSまとめ - 5/10

きみありて幸福
2020.05.05.

「幸福とは何だと思いますか?」
 賢者の唐突な問いかけは、どうやら西の魔法使いムルのせいらしい。元偉大なる哲学者で今は野良猫のような男の紡ぐ言葉は時として常人の思考をかき回し惑わしてしまうのだ。オーエンですらムルの言葉は警戒する。自身も言葉で他者を惑わすからこそ危険視しているのかもしれない。だから、問いを投げたのがムルであれば、オーエンは答えなかっただろう。
 しかしその哲学的な問いかけをしたのは若干目が据わった賢者であり、オーエンは目の前に置かれた菓子をたらふく食べている最中でとても機嫌が良かった。
 彼は自分の指先についたクリームをぺろりと舐めて答えた。
「ボウルいっぱいの生クリームやバタークリーム。あと赤い果実をぐちゃぐちゃに潰して砂糖たっぷりで煮た生傷みたいな食感のやつ」
「胸焼けしそうな幸福ですね……」
 いささか遠い目をする賢者に、オーエンはむっと口を曲げる。
「何、僕を馬鹿にしてるの?」
「いいえ滅相もない。ほら、お菓子まだありますよ。銀河麦の発注数を間違えたから今日はカナリアさんとネロが粉物祭りを開催してるんで」
「ん」
 厨房の主たちから給仕役を仰せつかった賢者は、さっきからそんな理由でキッチンと食堂を行ったり来たりしている。すっと差し出されたマドレーヌを受け取ったオーエンは流れるようにそれを口に放り込んだ。幼い子どものような所作なのに、妙な色気がある。
「カインはどうですか、幸福ってなんだと思います?」
 天邪鬼の機嫌を損ねまいと雑にオーエンを宥めてから、賢者はやはり雑にカインに水を向けた。オーエンの向かいの席でコーヒーを飲んでいたカインは思わず苦笑を浮かべる。
 カインはあまり自分の幸せというものには頓着しない性分だ。だから深く考えたことはないのだがーー目の前で甘い菓子をひたすら食べている男を眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせた。この細い身体のどこにそんなに入るのかは謎だが、オーエンは甘い物を食べている時には本当に幸せそうな顔になる。いつもの薄笑いや意地悪な表情は消え去って、明るい食堂の中で、そこだけ特に日差しがきらめいて見えるほどだ。そんなオーエンを見ていると、平和って良いなあと、のどかな気持ちになって胸がほっと暖かくなる。
「これは喩え話なんだが」
 コーヒーカップをソーサーに置いてから、カインは賢者を見上げた。
「仔猫がミルクを腹一杯飲んで眠そうに顔を擦っているのを見ると、幸福っていうのはこんな感じかなと思うな」
 目の前ではオーエンが睫毛についたクリームを拭っている。
 賢者はカインとオーエンを交互に見てから、何とも言えない笑みを浮かべた。
「……なるほど、胸焼けしそうな幸福ですね」