赤い糸
2020.05.31.
運命の赤い糸、と言うんです。
枕元に落ちていた赤い髪の毛を一本摘み上げながら、オーエンは昼間に聞いた賢者の言葉を思い出していた。
魔法舎の中庭では天気の良い午後にときおり賢者が誰かとお茶会を開いている。と言っても格式張ったものではなく、お茶とお菓子と雑談を楽しむためのものだ。その日は双子の老魔術師にせがまれて、元いた世界の占いの話をしていた。まったく興味のない話題だったので、オーエンはネロとカナリアが焼いたクッキーやタルトを口に運びながら聞き流していた。青ざめた死人の色をしたクリームを挟んだビスケットもいいけど、どろりと固めた血の色をしたジャムをのせたタルトが一等好きだ。舌の上でじゅわりととろける甘さがたまらない。
タロット占い、花占い、手相占い……賢者の世界にも色々と占いはあるようだったが、賢者自身はあまり詳しくはないらしい。知っているのは気休めのようなおまじないくらいだと苦笑を浮かべていた。
「あとは運命の赤い糸とか。いつか結ばれる相手とは、目には見えない赤い糸で繋がってるっていう言い伝えです」
「ほほう、見えないのに『赤い』糸とは不可思議じゃのう」
「見えない糸の色を確かめるのは難しそうじゃな。赤ではなくて黄色かもしれぬのう。あるいは黒か、青やもしれぬ」
「……言われてみればそうですね」
きゃらきゃらと笑う双子に賢者は真顔で頷いた。傍らのオーエンはバリバリとわざとらしく音を立てながらクッキーを噛み砕く。
ばかばかしい。見えない糸で勝手に縛りつけられるなんて、そんなのただの呪いじゃないか。
◇
「なんだ、これ?」
「赤い糸」
「……はあ?」
もぞもぞとすぐそばで動く気配に目を覚ましたら、左手の小指に自分の髪の毛が結ばれていた。なんの悪戯だろうか。眠い目を擦りながらカインが首を傾げると、悪戯の犯人であるオーエンからは気のない答えが返ってくる。
「賢者様の世界では、運命の相手とは見えない赤い糸で結ばれてるんだって」
「見えないのになんで赤いってわかるんだ?」
「さあ? 双子先生も同じこと聞いてたけど賢者様にもわからないってさ」
オーエンが肩を竦める。
夜の間のしおらしさなど嘘のように素っ気ない態度に苦笑しながら、カインは小指に結ばれた悪戯の意味を考える。賢者の話はわかったが、カインの髪を赤い糸に見立てるオーエンの真意がわからない。
「騎士様の糸が見えるようになったら、僕がずたずたに引き裂いてあげる」
くすくすと笑うオーエンは妙に機嫌がいい。悪巧みを思いついた子供のようだった。何をしてもカインが怯えないことに気づいてから、オーエンはどうにかしてカインを困らせてやろうとしているようだった。こうやって抱き合って眠るのも、オーエンにとっては嫌がらせのつもりなのだろう。状況に困惑はあれど、本当に嫌ならカインが相手をするはずもない、ということには思い至らないらしい。
嫌ではないから困っている。困っていると言いながら済し崩しに身体を重ねているのは些かだらしがないかもしれないが、カインはこの関係につけるべき名前をまだ見つけられなかった。恋と呼ぶには不実で、執心と呼ぶには甘すぎる。
「その糸がおまえに繋がっていたらどうするんだ?」
「は? そんなの絶対に嫌。もしそうなら僕の小指ごと切り落とす」
にべもなく吐き捨てるオーエンに、思わず笑ってしまう。気位が高い北の魔法使いは何かに縛られて意のままにならないことを嫌うのだ。浮き出た紋章が気に食わなかったので舌を引き抜いて死んだのだという話を聞かされた時には失笑したが、同じように運命に絡め取られたと知ればオーエンは指の一本などためらいもなく捨てるだろう。
「俺はおまえでもいいんだけどな」
この愛とも呼び難い執着が運命だと言うならば、いっそ諦めもつくかもしれない。
カインの言葉に、オーエンは不可解なものでも見るように瞠目した。
「信じられない、頭おかしいんじゃないの」
どうかしてる、と悪態を吐きつづける唇を己のそれで塞ぎながら、カインは左手をオーエンの頬に添える。小指から垂れた糸の端が蒼白い頬に朱を差した。
