「棘」
2020.03.22.
※アーサーを拾ったばかりの頃のオズとフィガロ。
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ちくりと細い棘が指に刺さるような、眉を僅かに顰めるだけでやり過ごせる程のささやかな嫉妬だった。
「熱が下がらない」
ちいさな子供を抱えて呆然と立ち尽くす男に、フィガロは目を丸くした。
前触れも挨拶もなしにオズが現れるのはそう珍しいことでもないが、南の国に居を構えたフィガロの元を訪れるのはこれが初めてだった。おまけに声が焦燥でかすかに震えている。本人は気づいていないようだったが。
オズの心は手に取るようにわかってしまう。
もしかしたらオズ本人よりも、フィガロの方がオズの心を知っている。昔からずっとそうだった。オズという魔法使いはあまりに強すぎて、だからこそ孤独だ。孤独であるが故に己の心を見つめることもなく、もっと端的に言えば機微に疎い。かつて世界を従えようとした時も、途中でそれに飽いた時も、己を突き動かすものが何なのかまるで自覚がなかった。
そして今も、腕の中に抱いた命の儚さに自分が怯えているのだと気づかずにいる。
「おまえの城の外に出してそのまま放っておけば、明日には石になってるよ」
そのために拾ったんだろ。フィガロが微笑むと、オズは何かを言い募ろうと口を開きかけて、結局黙り込んだ。
魔力を持つ子供を雪山で拾ったのだという話は聞いていた。少なくともその時のオズは子供を石にするつもりだったのだろう。フィガロはそれを聞いて、南の国の魔法使いにふさわしく「血も涙もない男だね」なんてからかってもみたけれど、ほんとうは人間が野山で狩った兎を食べることと何も変わらない。生きるために、他の命を糧とする。ただそれだけの話だ。実際のところ、オズはこれまで自分を倒そうとする数多の魔法使いを石に変えて、それを食らってますます強くなった。
「……冗談だよ。ほら、そこの診察台に寝かせて」
オズは安堵したようにため息をついて、子供をそっとベッドに寝かせた。フィガロは幼子の額に手を当てる。触れた手が冷たかったのか、子供は小さく身じろぎをした。
確かに熱は高い。呼吸も荒いが、どうやら風邪を拗らせただけのようだった。
「治せるか」
そう問われて、フィガロは苦笑を浮かべた。オズの声があまりにも切羽詰まっていたからだ。いっそ滑稽なほどに。同時に、ほんのわずかな嫉妬を覚えている己も自覚していた。
――互いに死ぬまで孤独だと思っていたのに、オズはとうとう見つけてしまったのだ。
「おまえね、俺の職業なんだと思ってるの。風邪くらい治せるよ」
子供の額に手を翳して、小さく呪文を詠唱する。見る間に呼吸が穏やかになって、薄い瞼が震えた。うっすらと開いた瞼の下、空色の瞳が何かを探すように彷徨い、傍らに立つ男の姿を見つけてやわらかく綻ぶ。オズはただじっと子供を見つめていた。
彼の魔力を持ってすれば治癒など簡単だろうにとも思ったが、オズには治癒魔法など必要ないのだ。使ったことがないからわからない。オズがまだ幼い頃、双子の師に負わされた傷を治してやったのはフィガロだった。そのことを覚えていたのだろうか。
「暖かくして、栄養があるもの食べさせて。それと、おまえが作ったシュガーをあげるといいよ」
風邪の予防になるから。まるで新米の親を諭すような台詞を、よりにもよってオズに伝える日が来ようとは!
二千年を生きても、予想もしない日は来るものだ。
フィガロの感慨を他所に、オズは眉を顰めて「栄養があるもの?」と呟いている。
「ほら、昔作ってやったポトフだとか……、作り方教えようか?」
「……頼む」
あのオズが素直に自分を頼ることがあるなんて思ってもみなかった。さらさらとレシピを書きつけながら、胸に小さな棘が刺さるのを感じた。
チレッタは全てを捨ててもいいと思える恋をして石になった。オズは喪失の恐ろしさを知ろうとしている。ならば自分もいつの日か、この胸の空虚を塞ぐものに出会えるだろうか。
「今度久しぶりにおまえの城に遊びに行くよ。子どもが好きなものを教えてあげよう」
幼子を抱き抱えたオズに紙切れを渡しながら微笑むと、かつて魔王と呼ばれた男はわずかに眉を寄せて踵をかえした。
「……好きにしろ」
そう言い残してオズは消えた。礼のひとつもないのが、彼らしいと言えば彼らしい。
次に彼の城へ行く時には、トカゲの姿をした悪い魔法使いを退治する絵本でも手土産にしてやろう。思いついた妙案に、フィガロはほくそ笑む。
慌ただしい来訪者へのせめてもの意趣返しに、それぐらいは許されるだろう。
