「騎士様は、美味しくないんだよね」
「……おいしくない?」
深いくちづけのあいまに投げつけられた言葉に、カインは目を丸くした。
ベッドの上で肌を重ねながら、どろどろに煮溶かした果実のような甘ったるい声で囁かれる。声音だけを捉えれば睦言めいてはいるものの、どう噛み砕いたところで苦言にしか聞こえない。いや、苦言というよりは、不満だろうか。どちらにせよ、遠回しになじられているのだけはわかった。
言葉とはうらはらに、奥深くまで性器を咥え込んだ内壁は雄をねぶるようにうねった。熱くぬかるんだ中を擦り付けると痺れるような快楽が思考を灼く。きゅう、と搾り取るように蠕く胎内に誘われて、思わず腰を突き入れていた。腹に渦巻く暴力的な衝動を、奥歯を噛み締めてどうにか堪える。
「ぁ、ぐっ……、」
「…っひ、ぁ、あ、…んぅ」
オーエンは白い喉をさらして、揺さぶられるまま鼻にかかった喘ぎをこぼしていた。先程までは蒼ざめた月のようだった頬にもいくらか赤みが差して、カインは密かに安堵する。ガラス玉のような瞳は涙に潤んで、灰銀の睫毛は夜露に濡れそぼつ花の色を思わせた。
どこかあどけない仕草で微笑んで、満足げに自らの薄い腹を撫でる。陶器のようになめらかな肌を汚す白濁が目に毒だった。
ずいぶんと気持ちよさそうに見えるけれど、どこかしら苦痛を感じているのかもしれない。
なにせ、ほんの数刻前まで、オーエンは死んでいたのだ。
花壇のそばのベンチで、目を見開いたままの死体を見つけたのは、夕陽が沈みかける頃合いだった。薄暗い夕暮れの魔法舎の陰、あたりには誰もいない。見つけてしまった以上はそのまま放っておくわけにもいかず、カインはしばし逡巡してから、細い身体を抱えて自分の部屋まで連れ帰った。
ベッドに横たえられたうつくしい死体は、精巧につくられた人形のようだった。
オーエンは魂を何処かに隠していて、だから心臓が止まっても、他の魔法使いのように石にはならない。人と同じような亡骸を晒して、しばらくすると再び心臓が動き出す、らしい。
(死ぬのは得意だよ)
オーエンの口癖を思い出す。
(ひとりぼっちで、寒くて、楽しい)
その言葉に偽りがないと示すように、彼は気軽に殺された。痛みがないわけではないだろうに、何かを確かめるかのように、オズやミスラを挑発しては命を落とした。オーエンが時折見せる被虐的な振る舞いをどう受け止めればいいのか、カインにはわからないままだ。
かは、と小さく息を吐く音が響いて、カインの思考を遮る。
オーエンが目を覚ましたようだった。見慣れぬ天井に惑うように瞬きを繰り返してから、首をめぐらせてカインを見つけると、光を厭う仕草で目を眇めた。薄いくちびるは紫に変色して、頬は真昼の月のように蒼ざめている。
痛い、寒い。
息を吹き返したオーエンは、か細い声で呟いて、熱を分けろとカインにねだった。歯の根が合わずにかちかちと音を立てて震えるさまが哀れで、乞われるままに薄い身体を抱きしめてやると、オーエンは氷のように冷たかった。それを暖めてやるために肌を撫ですさり、己の体温を分け与える。冬山で遭難した人間を救けるような心づもりで、あるいは巣の中で雛を抱える親鳥のような気分で。
しばらくそうしていると、ほんのりと色づいたくちびるを歪めて、オーエンがぎこちなく笑った。
「ねえ、騎士様、キスして。もっと触って、熱をちょうだい。まだ、足りないから」
プライドの高い彼らしからぬ媚びた仕草で伸ばされた白い腕が、蛇のようにカインの首に絡みついた。甘い毒を吹き込むように耳元で囁く。
なりふり構わない様子に訝しんでみたものの、理由はすぐにわかった。彼は魔力に飢えているのだ。魔法使いは自然の中から魔力を取り込むが、オーエンはどうやら人の強い思念から魔力を得るようだった。たとえば、恐怖や不安といった、強く心を震わせる感情から。
けれど生き返ったばかりで枯渇した魔力では誰かを脅すことも叶わない。だから、代わりに生々しい情欲を求めているのだろう。
ついさっきまで死んでいた身体に無体を働くのは気が進まなかったが、無下にするにはあまりにも力なく、弱々しい姿だった。憐みというわけではない。けれど弱り切ったオーエンを見ていると、なぜだか胸の奥が締めつけられるような心地がした。
望まれるままにくちづけを散らして、肌を舐めて、身体を割り開く。あまりにも簡単に事は進んだ。片目を奪った男に甘い声で乞われるだけで、いともたやすく身体の芯に熱が灯る。もはや戸惑いすらなく、ただ、あわせた唇からこの熱が移って、彼を暖めてくれますようにと、そんなことさえ願った。
だからこそ、無理をさせるのは本意ではなかった。もとより乞われて始めた交接だ。オーエンに苦痛を与えているのであれば、意味がない。少し休ませたほうが良いだろうかと埋め込んだものを引き抜こうとすると、白い足が引き留めるように腰に絡みついた。
「あ、ッ……ばか、っ抜くな、…ん、」
「……どこか痛むわけじゃないんだな?」
こくりとオーエンが頷く。
痛くない、気持ち良い、だから、もっとーー急かす言葉はくちづけで塞いだ。
「ん、っふ……ぅ、」
「でも俺は、不味いんだろ?」
散々咥内を味わってから唇を離す。つ、とこぼれる唾液を舐めとってから先程の意趣返しにそう問えば、腕の中の男はカインと揃いの両目を瞬かせた。
「……いじわる」
目元をうっすらと朱に染めて、拗ねたようにくちびるを尖らせる。まるで無垢な少女めいていて、そのくせ手馴れた娼婦のような蠱惑的な仕草に、カインは瞠目した。
「ひ、ぅ、…ちょっと、あ、なに大きくして、ンッ」
「悪い、いや、でも今のはおまえも悪いよな」
「はあ? ぁ、…ッ、ばか、ぅあっ、あ、や…ッ」
痛みはないと言っていたのだから遠慮はいらないだろう。すっかり体温を取り戻した腰を押さえつける。しっとりと汗ばむ肌が掌に吸いつくようだった。ことさらゆっくりと抜き差しを繰り返す。ずろろ、と身を引いては息を弾ませ、奥を突くたびに細い腰が跳ねて中がうねった。
俎板の上の魚のようにあわれな生き物に成り果てた男を、カインは容赦なく追い詰める。魔法使いとしての力量は相手の方がはるかに上だが、いまのオーエンならば押さえつけることなど赤子の手をひねるより簡単だった。
「ッひ、ぁあっ、も、っと、ッは、ーー〜〜!!」
「は、…オーエン、ッ」
悲鳴のような声を散らして、細い身体が痙攣する。がくんと顎をそらして、声もなく中で極めた様子だった。名を呼ぶカインの声は届いていないのかもしれない。熱くぬかるむ胎の内を串刺されて、びくびくと震えながら、甘い声がうわごとのように繰り返す。くちづけて、抜かないで、もっと奥に、たくさんちょうだい。焦点の合わない目をさまよわせて、さっきまで死んでいた男が、再び産声を上げようとしている。
カインは手を伸ばして、白い頬を撫でた。その熱を閉じ込めるように、オーエンの手が重なる。望むとおりにくちづけると、あたたかな吐息が唇をくすぐった。
「もっと、ほしい。……カイン」
「ああ」
求められるままに、すべてを注いでやりたい。
その感情に名前を付けられないまま、カインは奥深くに叩きつけるように熱を吐き出した。
「さいあく」
吐き出した悪態は、甘く掠れてしまっている。
すっかり魔力が戻ったらしいオーエンは、機嫌の悪さを隠さずに呪文を唱えて、情事の痕跡を消し去った。掠れた声だけが、熱を交わした名残りのようだ。
喉が痛むのだろう、眉をひそめるオーエンに、水を注いだコップを渡す。いつもの調子を取り戻した北の魔法使いは、舌打ちしながらもコップを受け取った。毒味をするように、黒百合が刻まれた舌が水をすくう。
「……あまい」
「ん? ああ、シュガーを溶かしたからな」
オーエンが目覚める前にいくつかシュガーを作っておいたのだ。目覚めたばかりの身体はきっと疲れているだろうから。そう考えて水差しの中にシュガーを落とした。
シロップのように甘い水に、オーエンの機嫌は少しばかり上向いたようだった。
ふうん、と首を傾げて、飲み差しのコップをサイドテーブルに置く。
「僕が弱っているあいだに、取り返せばよかったのに」
オーエンはそう言って、気怠げに笑った。彼の片方の眼窩に嵌まった金の目のことを指しているのだろう。カインはからりと笑って答えた。
「それじゃ意味がないだろ」
「意味?」
「おまえは俺の目標なんだ。いつかお前より強い魔法使いになって、その目を奪い返す。なのに、弱ってるところにつけ込むんじゃ、意味がない」
カインの言葉を吟味するように、オーエンは目を細めた。やがて呆れたように肩を竦めて、ひらりと片手を振る。
「なにそれ、馬鹿みたい」
ため息を吐いて、オーエンは踵を返した。
「……怒りだとか、憎しみだとか、恐怖だとか。そういうものは、タルトのクリームみたいにどろどろしてて甘ったるい」
「うん?」
今度はカインが首を傾げる番だった。オーエンの言葉は周りくどくてわかりづらい。人を惑わせるのが好きだからだ。けれども声音は柔らかくてきれいで、耳に心地良い。
「騎士様はそういうのがなくて、変な味。だから美味しくない」
ああ、さっきの「美味しくない」の話か。そう気づいて、カインは曖昧に頷いた。それは確かにそうだろう。片目を奪われてもなお、オーエンに対して憎しみや恐怖は浮かんでこない。ならば、なにを差し出しているのかと問われれば、答えに窮するのだが。
オーエンはちらりと振り返って微笑んだ。柘榴石のような瞳が悪戯めいて眇められる。
「でも、おなかはいっぱいになったから。ーーごちそうさま」
それきりオーエンは姿を消して、部屋にはカインひとりが残された。
いつのまにかすっかり夜も更けて、窓から見える闇には《大いなる厄災》が浮かんでいた。
やれやれ、今日はとんだ一日だった。
カインはため息をついて、コップに残った水を飲み干す。
シュガーを溶かした水は、くちづけのような甘ったるさを舌に残した。
