Hitosaji Memo

面影は遠く

研修先のパリでばったりサロモンと出くわす來潜(非恋愛)。無い話。潜以外がずっと勘違いしてる。Tempo Lubatoの前段のつもりで書いたけど蛇足かも。
#エイトリ #來潜


 今回の研修は潜とペアだった。
 行き先はフランスだ。來人も何度か訪れたことがあるし、潜にとって欧州は第二の故郷のようなものらしい。互いにいまさらガイドなど不要なのだが、そのくらい旅慣れた人間の目線で視察をしてくるように、というのが社長命令だった。
 端から見れば折り合いの悪い二人ではあるが(そして実際に潜は何かと難癖をつけてくるのだが)そもそもが寮では同室だ。二人きりの旅行もそれほど気詰まりなものではなかった。
 もちろん和気あいあいとはいかなかったが。
 現地ではガイドがついているし、観光ではなく研修である。スケジュールはきっちり決まっていて、レポートも提出しなければならない。
 少し目を離すと姿をくらまそうとする潜のお目付け役も任されていて、いざ蓋を開けるとなかなか不自由な旅だった。しかしその不自由さも新鮮ではある。
 二日目の午前はノートルダム大聖堂に立ち寄ることになっていた。來人が生まれる十年以上前に焼け落ちてしまったという大聖堂は、今ではすっかり修復されていて、火災の痕跡を感じさせない。荘厳な雰囲気にはさすがに圧倒された。
 あの潜ですら、どこか感じ入るように聖堂を見上げていたくらいだ。
 立ち寄った際に、たまたまオルガニストの練習に立ち会えたのも幸運だった。ガイドによると火災の前とまったく同じ音響ではなくなってしまったという話だが、深く厳かな音色は來人の胸を打った。
 壊れてしまったものを完全に復元することは不可能だ。
 それでも、喪失を惜しんで取り戻そうとするのは、人間の業であり、同時に祈りなのだろう。
 そんな感慨に耽っていると、いつの間にか潜の姿が見えなくなっていた。
(あいつはまた……)
 気ままな同行者に苦笑が浮かぶ。
 來人はガイドに断りを入れて、潜を探すために大聖堂の外へと出た。
 辺りを見回すと、柱の陰から見覚えのある黒衣の裾がひらめいている。潜だ。
 気づかれて逃げられないようにと足音を忍ばせて近づくうちに、かすかに話し声が聞こえてきた。どうやら誰かと一緒らしい。
『こんな場所で再会するなんて奇遇だね、クグリ』
『うるさい』
 潜の尖った声音に、來人は思わず足を止める。
 漏れ聞こえる会話は、フランス語ではなくドイツ語のようだった。
 旅先でも地元でも、潜は見知らぬ人間と気軽に話をするタイプだった。來人に対してはそっけないが、それ以外の人間には存外穏やかに話しかける。己が優位にあると示すように、あやすような話し方をするのだ。來人に対してさえ、こんな風に不機嫌さをあらわにすることは滅多にない。
 柱の陰になっていて潜の姿は見えないが、彼が話している相手は見えた。
 茶髪に青い瞳の、どこか気怠げに笑う男。
 会話を聞く限り、旧知の仲なのだろう。しかし潜が気安さゆえに取り繕わないのか、本当に邪険にしているのか、來人には判断しかねた。
 わずかに迷ってから、來人は意を決して物陰に近づいた。
『失礼。俺の連れが何か?』
 ドイツ語も日常会話程度なら何とかなるだろう。
 そう考えながら話しかけると、男は驚いたように來人を見た。潜も弾かれたように振り向く。
「來人……」
 苦々しげに潜が呟く。
 見知らぬ男は來人の顔をまじまじと見つめてから、潜に目を遣って、もう一度來人を見た。
 ワオ、と面白がるように口角を上げる。
 ニヤニヤと意地悪く笑う様は、なんとなく潜に似ていた。面立ちはさほど似ていないのだが纏う雰囲気は兄弟のようだ。
『へえ……、君がクグリの第二奏者(セコンド)ってわけか』
『――二番目(セカンド)?」
『違う』
 潜が間髪入れずに否定する。
『この男はそんなのじゃない』
 不愉快さを隠そうともせずに、潜は言った。
 そんなの、が何を指すのかまるでわからない。
 内心困惑する來人を余所に、男は「ふうん?」と意味深に笑う。
 潜は舌打ちをしてから、來人の手を取った。
「行こう、來人。もうここには用はないんだから」
「いいのか? 知り合いなんだろう。午後の予定ならキャンセルしても構わないが」
 旅先で古い知り合いに会うという偶然もそうそうないだろう。スケジュールを変更しても、事情を話せば可不可や主任もわかってくれるはずだ。しかし潜はにべもなく吐き捨てた。
「知り合いでも何でもない。さあ、行くよ」
 背に腹は替えられないとでも言うように、來人の腕を掴んだまま潜が歩き出す。
 戸惑いながらも、來人も後に続いた。
『じゃあね、タッジオ。また、どこかで』
 笑みを含んだ声が後ろから聞こえる。
 潜は振り返らなかった。
 
 ガイドと合流して、移動用に手配した車に乗り込む。車は次の目的地へと向かって走り始めた。
 後部座席に並んで座りながら、二人の間には何とも言えない沈黙が横たわっていた。潜はつまらなそうに車窓を眺めている。ひとつため息を吐いてから、來人は同乗者に視線を向けた。
「なあ、潜。本当によかったのか? ずいぶん親しそうだったのに」
「しつこいな、お前も」
 うんざりしたように、潜が振り向いた。
 その瞳の奥に哀しみが揺れているように見えて、來人はぎくりと身をこわばらせた。
 これまで自分に好意を伝えてきた相手も、同じように哀しげな瞳をしていた。
 ――キミのことは嫌いじゃない。だけど、その気持ちは受け取れない。
 そう謝ると裏切られたような顔をされた。
 どうして、と涙に揺れる瞳を見るたびに罪悪感でいっぱいになった。どうしてと言われても同じものを返せないからだ。けれど、説明したところで理解して貰えないことも学んでいた。
 その苦しさを思い出す。
「……」
 見つめ合っていたのは、ほんの一瞬だった。
 瞬きをするうちに、潜はいつものように皮肉めいた微笑を浮かべていた。夜の海に似た瞳に哀しみの色はなく、冷たく輝く星のように静かだ。
 傷ついて見えたのは、錯覚だったのだろうか?
(いや……)
 來人は胸のうちで否定する。
 見間違いではないはずだ。潜の中の失望と哀しみを確かに垣間見た。けれど、それは自分に向けられたものではなかったのかもしれない。
 ――君がクグリの二番目(セコンド)?
 再び車窓を眺める潜を目で追いながら、名前すら知らない男の言葉を反芻する。
 自分が二番目(セコンド)だとしたら、他に誰か一番目(プリモ)がいたということだろうか。その『誰か』の面影を來人の中に見ていたのかもしれない。
(尋ねたところで答えてはくれないだろうな)
 潜のことをもっと理解したいとは思っているが、心のやわらかなところまで暴き立てたいわけではなかった。彼との間に欲しいものは信頼で、信じてもらうためには、相手を信じるしかない。
 冴えた月のような横顔には、控えめに微笑んでいた少年の面影などなかった。けれど、潜の記憶にもあの日の思い出は残っているらしい。それならば、いつか再び手を取り合う日も来るだろう。
 楽観的だと笑われるのかもしれないが、それはさほど遠くない未来のように思えた。
「ワイナリー、楽しみだな」
 次の目的地は潜がリクエストしたワイナリーだ。
 少しは機嫌を直してくれるといいが。
 そう思いながら声をかけると、潜は呆れたような顔で何か言いかけて、結局面倒になったのか黙って肩をすくめた。

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