Hitosaji Memo

つま先に星を散らして

來潜(順不同・非恋愛)習作、手癖100%。Aロマの來人さん。メインストーリー後(区ノベのバレは多分ない)
 #エイトリ #來潜



(lieb,so lang du lieben kannst!)

 恋を知らないわけじゃなかった。
 これまでの人生で何度も向けられてきたものだから、どんな形をしているのかは、たぶん知っている。
 ただ俺が、それを持ち合わせていないだけで。
 好きです。愛してる。付き合ってください。
 ――差し出される言葉が、熱に浮かされたような眼差しが、俺には剥き出しのナイフのように思えた。あるいは、花束のようにラッピングされて喉元に突き付けられる、得体の知れない何か。
「ただ受け取ってくれればいいんだよ」
「それしか望まないから」
「同じものを返してほしいだなんて期待しないから」
 そう告げられて、そしてそれを馬鹿正直に真に受けて、告白してきた友人と交際したこともある。
 俺には恋がわからないけれど、付き合っているうちに相手を好きになれるかもしれないと期待もした。
 たとえば、手を繋ぐ時に胸がときめいたり、不意にキスをしてみたくなったり、その相手が他の誰かを見ていると苛立つようになるのかもしれない。ごく普通の人間らしく。
 けれど、それらの試みはことごとく失敗に終わった。俺は相手の期待に応えられず、やがて相手が耐えきれなくなって離れていく。その繰り返しだった。
「やっぱり、好きになってはくれないんだね」
 裏切り者を見るような目で、恨めし気に言われて、それきりだ。友人だと思っていたし、出来る限り大切にしていたつもりだった。けれど、それでは『恋人』失格らしい。
(受け取るだけでいいと言ったくせに)
 そう失望する自分にも嫌気が差した。
 あるいは恋ができないのは、死の予言のせいだろうかと考えたこともあった。
 遠からず死ぬことが決まっているから、恋をしても無駄だから、俺は誰かを愛せないのだろうか。そう考えるほうが楽だったのだ。けれど、予言のせいではないことは、俺自身が一番わかっていた。
 会社を立ち上げた時も、抗争をまとめた時も、「やろう」と思って出来ないことはひとつもなかった。すぐに飽きて放り出したのは事実だが、すぐに飽きてしまうくらい、大抵のことは俺にはたやすかったのだ。
 けれど誰かを恋しく思うことだけは、最初から出来なかった。だから途方に暮れた。自分の中に無いものは、どうやったって芽吹くことはない。
 俺は死ぬまで誰かに恋することはないのだろう。
 その事実を認めることは苦しかった。誰かと親しくなりすぎないようにして、苦しみから目を背けていた。死を宣告されたことすら、俺にとっては、愛せないことの言い訳になっていた。
 そして、転機が訪れる。
 Ev3nsとして活動するようになって、人生を共に生きる『戦友』のような相手を諦めなくていいと言われた。そのおかげで、俺も少しは変わることができたのかもしれない。
 けれど、たとえばその『戦友』が恋した相手と結婚したら、パートナーや家族よりも俺を優先してはくれないだろう。配偶者よりも特別な相手を作るのは、世間から後ろ指を差されるような不道徳な行いだからだ。少なくとも俺が生きているこの世界では、そういうことになっている。
 それでも、俺なりに心を傾ければ、恋ではないやり方で誰かを愛せるのかもしれない。
 そう思えたことが嬉しかった。



 観光区長の仕事以外にも、俺はいくつか会社を持っていて、その日は自分の会社の雑務で外に出ていた。幸いと言うべきか、俺が自分がいなくなってからも会社が存続するように前から根回ししていた。そのおかげで収監されている間も問題なく回っていたのだが、やはり自分で動いたほうが話は早い。
 Ev3nsの活動も軌道に乗りはじめているし、そろそろ会社を本格的に整理して、手放せるものは手放してしまおうか。それはかつてのような投げやりな気持ちからではなく、可能な限りEv3nsとしての活動に集中するためだ。いざという時に可不可たちの助けになるような事業はなるべく残しておきたいところだが、少しずつ売却していこうと決意する。
(だが話の持っていき方を間違えると、また生行に怒られそうだな)
 他人からはまるで身辺整理のように見えてしまうかもしれない。それを否定するには、俺には『前科』が多すぎた。
 そんなことを考えながら建物の外へ出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
 最後の打合せ場所は17区にあり、『BAR夢十夜』にも歩いて行ける距離だった。せっかくだから軽く飲んで帰ろうと思い立つ。十分ほど歩くと、馴染みのバーに着いた。
 ドアを押し開け、中に入ったところで軽く瞠目した。
「……潜」
 カウンター席に座っていた先客は、同室の男だった。
 癖のある銀糸の髪に、風変わりな黒い服。黄昏時の影のようにひっそりと佇む時もあれば、目を離せないような存在感を放つ時もある。
 ユーカーのジャック。
 見間違えるはずもない。
 ちらりとこちらを振り向いた潜は、一瞬だけ不愉快そうに顔を顰めてから、すぐに皮肉めいた微笑を浮かべた。
 俺と遭遇したことは気に食わないが、俺にペースを乱されたと思われるほうが度し難い、と言ったところか。何を考えているのかわからない男だが、俺に対する態度は一貫していて、そういう意味では案外わかりやすい。
「やあ、來人。いらっしゃい」
 店主である夜鷹さんはカウンターの向こうではなく、ボックス席のソファに寝そべっていた。この店ではごく普通の光景だ。そして挨拶を済ませた後は、睡魔に抗う気もないのか、瞼を閉じてしまう。これもいつものことだった。
 俺はボックス席の横を通り過ぎ、潜の隣のスツールを引く。
 潜の肩がぴくりと跳ねた。
 他にいくらでも席はあるだろうに、とでも思っているんだろうな。
 構わずスツールに腰掛けて、潜の手元を見る。
 長い指が支える綺麗に磨かれたグラスの中で、艶やかな紅が揺れていた。
「あ~、ご注文は?」
 どことなく朝班の添に似た雰囲気のバーテンダーに問われて、潜の手元を指差した。
「彼と同じものを」
「……は?」
 剣呑な応えを返したのはバーテンダーではなく潜だった。
 冷ややかな眼差しに、苦笑が浮かぶ。千弥たちには甘やかすような素振りさえ見せるのに、俺にはこれだ。
「別にお前だけの酒じゃないだろ」
「ふん……」
 これ以上会話を続ける気にもならないのか、潜は鼻を鳴らしてグラスのワインを煽った。空のグラスを突き出して、バーテンダーに向かって優雅に微笑む。
「同じものを」
「はぁい」
 バーテンダーはいささか軽薄な愛想笑いを浮かべて、俺と潜の前にワイングラスを差し出した。
 赤ワインは普段好んで飲むことも少ないが、潜が気に入っているくらいだから味は確かだろう。
 乾杯のつもりでグラスを掲げてみたが、案の定、潜には無視された。肩を竦めてひと口飲むと、芳醇な香りが鼻に抜ける。
「美味いな」
「当然だね。僕が夜鷹に仕入れさせたんだから」
「ああ、なるほど」
 このバーにはHAMAツアーズの同僚たちもよく訪れる。秘密主義なところのある潜は、他に行きつけのバーがいくつかあるようで、『夢十夜』にはあまり寄り付かない。その彼がわざわざ訪れるのは、目当てがあったからなのだろう。
「確かに夜鷹さんにねだりたくなるのもわかる」
「……」
 潜は返事をしなかった。瞼を軽く伏せて、己の手元を見つめている。
 グラスに揺れる紅を見ているのか、黒く塗った爪を見ているのか。
 バーの照明をきらきらと弾いて、つま先は星を散らしたように光る。白い指先と黒い爪は、彼が『壊れてしまった』と呟いたピアノの鍵盤を連想させた。
 俺は視線を上げて、その横顔をじっと眺めた。
 ぎこちなく微笑んでいた幼い少年の面影はどこにもない。あの日のことを思い出せなかったことへの言い訳のようだが、別人かと思うほどに彼は変わってしまった。災害によって腕を失ったことが原因なのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。俺には知り得ないことだ。
 連弾をした日のすぐ後に、潜は母親と共に渡欧していた。再会の約束は果たされないまま、中学に進学した俺はあの『予言』を受けることになる。それからは一分一秒も無駄にしたくなくて、がむしゃらに生きていた。過去を振り返る暇などなかったから、一度一緒にピアノを弾いただけの幼い少年のことなど、記憶の片隅にすっかり追いやっていたのだ。
 潜が『災害』に巻き込まれて腕をなくしたのは、彼が十七歳の時らしい。彼の行方を調べるうちに、海外の古いニュースの記事を見つけた。しかし、それから潜がどこで何をしていたのかは判然としない。少なくとも簡単に探せるようなオープンネットには潜の足跡はなかった。
 フランツ・リストの生まれ変わりと讃えられた天才ピアニストは、腕と共にその将来を断たれて、表舞台から姿を消した。

(O lieb,so lang du lieben magst!)

 気がつくと、俺は潜の指先を捕まえていた。
 触れた指は冷たかった。
 魔法のように鍵盤を操っていた、あの幼い指ではない。けれど、この冷たい手が生行の命を救ってくれた。それは、俺を救ってくれたのと同じことだ。
 潜は弾かれたようにこちらを向いた。
 痛覚はないはずだが、激しい痛みをこらえるように、彼は薄い唇を噛みしめる。射干玉の瞳は怒りに燃えて、星のように煌めいていた。青褪めた顔をして、俺を睨みつける。
 火花が散る瞳の中には、ひとかけらの愛もない。
 天地がひっくり返ったって、この男は俺に恋をしないだろう。
 本当は愛してほしいのだと俺に期待してしまうことも、その期待が失望に変わることもない。
(そのことに俺がどれだけ安堵するのか、きっとお前にはわからないだろうが)
 潜は罅割れた仮面のような微笑を頬に貼り付けて、歌うように囁いた。
「穴が開くほど見つめてくれたお礼に、その唇にキスでもしてあげようか」
 どうやら捨て身の嫌がらせをするつもりらしい。
 俺は思わず吹き出した。そのまま笑いを堪え切れずに、少し噎せてしまう。潜は機嫌の悪さを隠そうともせずに舌打ちした。
「余裕だね、冗談だとでも思ってるのかな」
「本気でも構わないさ。キスされたくらいじゃ、キミが期待するほど俺は傷つかない」
「……強がりも大概にしたら」
「強がってなんかいない。だって、潜は俺に恋しないだろ」
「……」
「少し想像してみたが、たぶん鳥に啄まれるようなものだと思う」
 鳥は俺に恋しない。それならば、耐えがたいような苦痛にはならないのだ。触れ合っていても同じ想いを返せないことに、罪悪感を覚えずにすむのだから。
 愛もなく唇に触れるだけの熱なんて、ただの温もりに過ぎない。あるいは、彼の指先のように冷たいのだろうか。それはそれで悪くない気がした。
 蔑むように俺を睨んでから、潜はため息を吐いた。
 それから俺の脛を軽く蹴る。
「痛いな」
「……もう帰るよ。ああ、支払いはこの男がするから」
 後半部分はバーテンダーに向けての言葉だ。返事も聞かずに席を立ち、潜は店から出て行ってしまった。
 どうせ同じ部屋に帰るのにな、と少しおかしく思う。いや、あの調子じゃ今夜は帰って来ないかもしれないが。
 潜を見送るついでに、ボックス席に目を遣る。
 夜鷹さんはすっかり寝入っているようだ。彼が起きていたら一緒に飲み直してもよかったが、寝ているのを起こすのはしのびない。そろそろ退散することにしよう。
 俺はバーテンダーを見上げて、二人分の支払いをすることを伝えた。青年は唇の片端を持ち上げて笑う。やはりどこか添に似ているなと思った。
「ま、何でもいいスけど、痴話喧嘩なら余所でやってくださいね〜」
「ああ、気をつけよう」
 もちろん痴話喧嘩なんて誰ともしたことがない。
 冗談じみた揶揄を笑って流せる自分に内心驚きながら、支払いを済ませて店を出た。

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