ニライカナイ
手入れ部屋には先客がいた。
今剣と岩融――どちらも三条の刀派とされる古刀である。もっとも、岩融は刀ではなく薙刀ではあるが。手入れ部屋はいわゆる結界の中の領域である。傷ついた刀を修復するために造られており、本丸においても神気が強い場所だ。
焚き染められた香の匂いが鼻先をかすめる。
かつての主が主従関係にあったというふたりは共にいることが多い。今も寄り添って寝そべっている。獣の親子のようだなと、鶴丸は呑気に考えた。岩融は見たところ軽傷のようだったが、今剣は傷が深いようで青褪めた顔をして眠っている。
入口に立つ鶴丸の気配に、ちらりと岩融が視線をくれた。
常日頃は磊落な男の瞳には何の感情も浮かんでおらず、冷えた鋼のように澄んでいる。今生の付き合いはまだそう長くはないが、こちらがこの男の本性なのであろうと鶴丸は踏んでいた。
「よう、具合はどうだい」
努めて軽い調子で、そう声をかけると、岩融は獣が牙を剥くようにして笑みを浮かべた。
「俺はたいしたことはないなァ。おまえの傷のほうがよほど深そうだ」
「人の身にはまだ慣れんな。面白いといえば面白いが――、傷を負うといささか不便だ」
「違いない」
鶴丸は岩融たちから少し距離を置いて胡坐をかいた。
彼が審神者なるものに現世に呼び出されからはまだ日が浅い。鶴丸国永が目覚めた時、彼らの「本丸」には既に多くの付喪神が集まっていた。いくつかの部隊が組まれ、交代で出陣する。神のうちである彼らとて、人の身を借りている以上は不眠不休で戦うというわけにはいかなかった。はじめのうちこそ、はたして眠ることになんの意味があるのだろうかと首を傾げていたものの、眠らなければ身体が動かなくなるのだということを否が応にも思い知らされることとなった。戦場でも、傷を負えば動きが鈍る。不便ではあるが、これも人の身なればこそと愉快に思う気持ちもあった。少なくとも蔵の中で眠っているよりはよほど刺激的だ。
衣に染み付くような血の匂いも、じくじくと疼く傷の痛みも、仮初であるはずの命を強く感じさせた。
ともあれ傷を治さねば次の行軍には参加できまい。
鶴丸は細く息を吐いて目を瞑る。やがて部屋に満ちる清涼な気が身の内をめぐるのを感じた。
それから数刻ばかり経ったのだろうか。
ふと、眼前に気配を感じて目を開くと、幼い童の姿をした付喪神がこちらをじっと見つめている。生まれは鶴丸とそう大差がないはずだが、紅い瞳はあどけなく、言動もひどく幼い。人の身に宿る際に何か欠落があったのかもしれない。
「傷はもういいのかい?」
問うまでもなく、今剣はすっかり修復が済んだようである。白い頬にも血の気が戻っていた。岩融の方はまだ眠っているのか、それとも狸寝入りなのか、肘をついたまま横になっている。懐から今剣が抜け出したことに気づかないはずもないだろうから狸寝入りの方だろうと思い直した。
今剣は鶴丸の問いには答えずに、ゆるりと首を傾けた。
「……しおのにおいがします」
「潮?」
「ねのくにの、におい」
鈴が鳴るような声音に、一瞬意味を捉え損ねた。一拍おいてから、ああ、と鶴丸は頷いた。
「俺は彼岸にいたことがあるからなあ」
「ねのくにへゆけば、まえのあるじにもあえるのでしょうか」
それは問いかけというよりは独白に近かった。
「どうだろうな」
軽い調子で言って、自分と似た淡い色の髪をゆるく撫でてやる。
「会えるかもしれないが、根の国へ行くと自分のことも全部忘れてしまうと言うぜ」
「……それは、こまります」
岩融のことも忘れてしまったら、そう言って項垂れる子供に苦笑が浮かぶ。
「――だとさ。いやはや、熱烈だな」
「そう茶化してくれるなよ」
巨岩のような男はむくりと身を起こすと、今剣を片手で抱きあげて肩に担いだ。もとより軽傷の岩融はすっかり修復も終わっていたようだ。さて主のところにでも顔を出すかと嘯いて男と子供は部屋を出た。
静謐な部屋にひとり残された鶴丸は、自らの傷を検分した。すっかり治してしまうにはもうしばらく刻がかかりそうだ。退屈を噛み殺すようにしてごろりと横になる。
(根の国の、匂いか)
先ほど子供に言われた言葉を思い出す。常世の匂いはきっとすっかり染み付いてしまっているのだろうが、自分ではまるでわからなかった。だが、いつでもそちら側に容易に渡ることができるのだということは知っている。
もっとも今剣のように会いたい者がいるわけでもなし、しばらくはこちら側の方が楽しめそうだと嘯いて、鶴丸は眠るために目を閉じた。
