1.
ブラッドリー・ベインが母親を亡くしたのは十五年前のことだった。
父親の顔は元から知らない。亡き母曰く、見目良く愛嬌はあるが、ろくでもない男だったそうだ。根っからのギャンブラーで危険を顧みずに博打に興じる。身重の女を捨ててどこぞへと消えた男は二度と帰ってこなかった。トラブルに巻き込まれて野垂れ死んでしまったのかもしれない。おまえは父親に似ていると、母は笑いながらよく言っていたが、ブラッドリーとしては心外な話だ。だが、今となっては確かに自分はそのろくでもない男に似ているのかもしれないと思うこともある。
ブラッドリーがハイスクールに進学したころ、母はショッピングモールにあるレストランで働いていた。そこの店主は面倒見のいい人間で、育ち盛りのブラッドリーがふらりと訪れるとこっそりまかないを食べさせてくれたものだ。ある日、いつものように母が働く店をたずねようとした時、悲劇は起こった。店で働いていたアシストロイドが暴走し、爆発事故を起こしたのだ。母はその爆発に巻き込まれて死んだ。近くにいたブラッドリーは爆風に飛ばされたが、一命は取り留めた。病院のベッドで目覚めた時には母親の葬儀は終わっていた。
多額の賠償金を受け取ったブラッドリーは、ハイスクールを卒業した後シティポリスになる道を選んだ。
その頃、ハイクラスの人間にとってアシストロイドは無くてはならない存在になりつつあった。それならば、アシストロイド絡みの捜査ができるシティポリスになって、ハイクラスを利用して成り上がってやろうと目論んだのだ。
アシストロイドによって母親を奪われたとも言えるが、ブラッドリーは別にアシストロイドを憎んではいなかった。機械は所詮、機械だ。事故は起こるし、それは機械のせいではない。だが、生い立ちを知る周囲からは『アシストロイド嫌い』と噂され、それを否定することもなかった。アシストロイド嫌いだろうと言われて損することもないからだ。
アシストロイド自体は特に好きでも嫌いでもなかったが、アシストロイドを作り、それに依存するハイクラスの人間のことは嫌いだった。泥を捏ねた人形に神が魂を吹き込んだように、人間も鉄屑でできた人形に心を与えようとする。その傲慢さが気に食わなかったのだ。
「そのくせ、いらなくなったら捨てちまうんだからな」
薄汚い路地裏で、半ばスクラップにされて捨てられた人形を見下ろしながら、ブラッドリーは悪態を吐いた。
空色の髪は薄汚れ、さきほどまで気怠げな微笑を浮かべていた頬はひび割れている。右膝から下は千切れて、無造作に地面に転がっていた。剥き出しのマナプレートは無事なようだが、どうにも機体の損傷が激しい。機能停止するのも時間の問題だろう。
この手の違法アシストロイドは、外部損傷により機能停止すると自動的にメモリが消去されるように作られている。押収した機体を解析したところで、たいした情報は得られないだろう。密売人たちが持ち出し損ねた機体を派手に壊して行ったのは、シティポリスに対する嫌がらせに違いなかった。
「予定通り、そっちに数人逃げてったぞ。鼠一匹捕り逃すなよ」
『了解、ボス』
無線越しに部下に指示を飛ばしてから、ブラッドリー・ベインはあらためて打ち捨てられたアシストロイドを眺めた。
歓楽街の外れにある寂れたレストランでは、裏でアシストロイドの違法取引が行われている。そんな情報を掴んだのが、今から数日前のことだった。昨今の裏社会では武器や麻薬よりもアシストロイドの密売のほうが金になる。必然的にシティポリスの仕事もアシストロイド絡みの事件が増えていた。アシストロイド嫌いで通っているブラッドリーだが、こうした捜査を厭うことはなかった。原則として危険手当がつくし、ハイクラスとの繋がりもできる。リスクは伴うものの、出世には一番の近道であることは間違いない。実際、このヤマが片付けば、署長への昇進が約束されていた。だからこそ潜入捜査員の真似事をして、この店に通っていたのだ。
目の前で壊れかけているアシストロイドは、くだんのレストランで調理を担当していた。客のふりをして軽く世話話をしてみたが、無愛想だが腕のいい料理人といったところで、こうして打ち捨てられている姿を見るまでアシストロイドだとは気づかなかった。マフィアに弱味でも握られて利用されている哀れな店主なのだろうとばかり思っていたのだ。何気ない仕草も、ささいな受け答えも、人間そのものだった。仕事柄、アシストロイドを≪尋問≫する機会もあったが、この男はブラッドリーが知る機械人形とはまったく違った。
(カルディアシステム)
ブラッドリーの脳裏に浮かぶのは、眉唾ものだと鼻で笑っていたはずの噂話だ。自律的な思考を行い、それゆえに人間と同じような感情を持つアシストロイドが極秘裏に作られているという、子ども騙しの都市伝説。人と同じように考え、学び、行動するアシストロイド――もし実在するならお目にかかりたいもんだ、なんて軽口を叩いていたものの、本当に出くわすとは思ってもみなかった。
おそらくマフィアの連中は、このアシストロイドがどれだけ特異な存在なのかを知らなかったのだろう。知っていれば、こんなふうに投棄などしなかったはずだ。カルディアシステムについて詳しく知る者はハイクラスの中でもごくわずかだという話だったから、マフィアの末端構成員が知らなくても不思議ではないが。
「勝手なもんだよな。散々利用して、用済みになったらポイだ」
囁きはアシストロイドの耳に届いたらしい。金色の瞳が億劫そうにブラッドリーを見上げた。
「死にたくないなら、助けてやってもいい。玩具は大事にしろってのが、死んだおふくろの遺言だからな」
「……」
その言葉の意味を理解したのかどうか。アシストロイドはゆっくりと瞬きを繰り返した。やがて薄い唇がかすかに動く。
「………ぁ、」
朝焼けに光る海のような瞳が、ブラッドリーの嘲笑を映している。
「………く……い……」
『死にたくない。』
聞こえるかどうかというか細い声だったが、ブラッドリーにとってはそれで充分だった。
「いいぜ。てめえは俺が飼ってやる」
安堵したようにアシストロイドが瞼を伏せた。そのままがくりと項垂れる。どうやらスリープモードに入ったらしい。機能停止する前にスリープモードに入ってしまえば、メモリの自動消去は免れる。やはり、他のアシストロイドとはどこか違うようだった。
やれやれとブラッドリーは肩をすくめた。半ばスクラップにされたアシストロイドを押収した証拠品として現場から持ち出すのは簡単だが、問題はその後だ。フォルモーント・ラボラトリーに持ち込むのは得策ではないだろう。なにせラボラトリーの連中が必死に隠蔽している曰くつきの≪カルディアシステム≫だ。下手したらそのままフィガロたちに取り上げられて、本物のスクラップにされてしまうかもしれない。
口約束とは言え、助けてやると言ったのだ。それはブラッドリーの本心でもあった。必要があればいくらでも二枚舌を使うが、そうでないならできるだけ自分の心には嘘をつきたくない。
アシストロイドの技術者はどこへ行っても重宝される世の中だ。カルディアシステムについても知っていそうな技術者には、ラボラトリー以外にも伝手があった。弱味を握って泳がせている後ろ暗い経歴しかない奴とか。まあ、金さえ払えば修理はしてもらえるだろう。
沈黙した鉄の身体を抱え上げて、ブラッドリーは路地裏を後にした。
2.
「今日からてめえの名前は『ネロ・ターナー』だ」
再起動した途端、目の前の男にそう告げられた。
長身の男は、顔立ちだけを見れば愛嬌がある部類だったが、どうにも妙な迫力がある。顔面に残る大きな傷痕のせいかもしれない。
男の名前はブラッドリー・ベイン。つい先日、三十二歳の若さで、フォルモーントシティポリス署長に昇任した。男のデータは既にインプットされている。なぜなら、この男が自分の新しいオーナーだからだ。
ネロ・ターナーと名付けられたアシストロイドは曖昧に頷いた。もとより自分に決定権はない。オーナーがそう言うのならば、今日から自分はネロという名なのだろう。
「はあ。そうっすか」
「そうっすかって……、なんかぼけっとした奴だな。本当に『カルディアシステム』入ってんのか?」
「一応……、でも『カルディアシステム』の詳細は俺のメモリにはなくて」
「まあそこは端から期待しちゃいねえさ」
そう言いながらも、ブラッドリーは不満げに鼻を鳴らした。
事実として、ネロには『カルディアシステム』についての情報がない。起動した時から、自分が他のアシストロイドとはどこか違うということはわかっていたが、詳しいことは知らなかったし、興味もなかった。命じられたとおりに人間のふりをしてレストランで調理をする日々に特に不満もなかったのだ。アシストロイドは人間に使役されるために造られるのだから当然だ。それを使役するのが犯罪組織だろうと、ハイクラスの人間だろうと、アシストロイド側に選択権はない。
そんな折、目の前の男が店に現れた。今思えば、あれは潜入捜査だったのだろう。ネロの料理を気に入ったと言って何日か通っていた男が、数日経ったある日、大勢の捜査官を引き連れてやってきた。違法アシストロイドの密売をしていた組織の人間たちは、証拠隠滅を謀って店にいたアシストロイドをスクラップにしようとしたが、時間が足りずに中途半端に投げ捨てて逃げた。そのおかげで、ネロのメモリもこうして消去されずに残っているわけだが。
とはいえ、犯罪組織に利用されていたアシストロイドだ。シャットダウンした後は、当然メモリを抜かれて解体されるのだろうとばかり考えていたものだから、自分がきちんと修理されていることにネロは内心驚いていた。
「それで、俺は何をすればいいんです? 料理はひととおりできるけど、他の家事はそれほど学習してなくて。掃除はできます」
「ハウスキーパー欲しさにスクラップを直すほど、ワーキングクラスは酔狂じゃねえよ。今日からおまえはフォルモーント・シティポリスの巡査部長、ネロ・ターナーだ。もちろん人間の警官ってことになっている。そのための偽造IDも用意した」
「…………はあ?」
何言ってんだこいつ。
ネロは露骨に呆れた顔をして、新たなオーナーを見遣った。従順が取り柄のアシストロイドにはあるまじき態度だったかもしれない。
しかし、ブラッドリーはそれを見て楽しそうに口端を上げた。
「『カルディアシステム』入りのアシストロイドを横領したなんてバレたらさすがに俺様の首も飛ぶ。そんときゃてめえも仲良くスクラップさ。そこで、だ」
電子タバコを咥えて、ブラッドリーはネロを見据えた。
「おまえには人間の警官になってもらう。人間のふりして飯屋やってたんだんから、そう難しい話じゃねえだろ」
ネロは唖然とした。
マフィアに使われていた時とはわけが違う。組織の人間たちはネロがアシストロイドだと承知の上で、訪れる客だけを欺かせていたのだ。しかしこの男は、オーナー以外の人間をすべて欺けと言っているようなものだった。
市民を守る正義の味方のくせに、マフィアよりもタチが悪い。
しかし、どんなに無茶苦茶だろうとオーナーからの命令には従うべきだろう。少なくとも、その頃のネロはそう考えていた。カルディアシステムが搭載されていようと、心は勝手には育たない。マフィアに道具として扱われているあいだ、どうしたいとか、何が嫌だとか、そんな自分の感情を認識することなどできなかったのだ。
「わかった、やってみる。だけど、あんたのことは何て呼べばいいんだ? オーナーじゃまずいだろ」
ブラッドリーは目を眇めた。
「変なとこ気にする奴だな。ブラッドでも署長でもボスでも好きに呼べばいい。他に質問は?」
「……あんたの飯、俺が作ってもいい?」
料理はネロにとって唯一の楽しみと言ってもいいことだった。料理を作り、それを食べた人間が喜ぶ顔を見ると、プログラムされたのではない自分の心があることを実感できるのだ。この男の食べっぷりは見ていて気持ちよかったし、まだ色々と食べてほしい料理もある。警察官として生活しろと命じられては料理人になることはできないが、この男の食事を用意する時間くらいは取れるはずだ。
ブラッドリーは目を丸くしてから、肩をゆすって笑った。
「おう、いいぜ。てめえの飯は美味かったしな」
子どものような笑顔を眺めながら、ネロは強い高揚を感じた。胸に刻まれた百合の模様が光る。感情が大きく揺れ動くと、カルディアシステムが反応して紋章が光を放つ。そのことは誰に教わらずとも知識としてインプットされていた。
(俺にもあるんだ。本当に、心なんてものが)
それが喜びなのか、恐れなのかはわからないけれど、身体中をあるはずのない血潮が巡るような錯覚をおぼえて、ネロは光りを放つ胸を押さえた。
