「きみ、馬鹿なの?」
呆れと苛立ちを隠そうともせず、冷たく己を見下ろす青年は、名をファウスト・ラウィーニアと言う。フォルモーント・ラボラトリーに勤務する研究員の一人で、世界的に有名なガルシア博士の愛弟子であり秘蔵っ子とも言われている人物だ。しかし、フィガロ以上の対人恐怖症で、人前に出ることはほとんどない。フィガロやレノックス以外の人間とは目も合わせられないようだった。
そんな彼が、気後れすることもなく説教してくるのは、ネロがアシストロイドだからだ。
ネオンのきらめきが消えることのない不夜城フォルモーントシティが暗闇に包まれた大停電の夜からはや数ヶ月。ラボラトリーが秘匿していたカルディアシステムは白日のもとに晒され、ハイクラスの間で『意思を持つアシストロイド』の扱いについての議論が交わされ続けている。しかし、ハイクラスの中でも結論が出ていないというのに、真実が知れ渡っては世界に混乱を来たすだろうというのが御偉方の主張だった。おかげでネロ・ターナー警部補(しばらく前に昇進した)は未だに人間のふりを余儀なくされている。シティポリス内でネロの正体を知るのは、カインの他、ブラッドリーが特に信頼をおいている同僚数名だけだ。とはいえ、『転属』してきてからまったく歳を取らない男の正体を隠しておけるのも、あと数年と言ったところだろう。
閑話休題。
さて、ネロがこのハイクラス出身の研究員に出会ったのは、大停電の夜からしばらく経った日のことだった。
オーエンという名の新型アシストロイドが騒動を起こすまで、フォルモーント・ラボラトリーには近づくなとブラッドリーに厳命されていた。ラボラトリーの連中も馬鹿ではないから、不良警官がスクラップになったアシストロイドを横領して修理していることはとっくにバレている。ときおり釘を刺されることはあってもお互い痛い腹を探るような真似はしなかった。けれどネロに搭載されたカルディアシステムだけは別だった。あの頃のラボラトリーはカルディアシステムの隠蔽に躍起になっていたし、ネロの秘密を知られてはそのまま押収されかねないというのがブラッドリーの弁である。当然、オーナーであるブラッドリーもただではすまないだろう。オーナーを危険に晒すような真似はしたくなかったから、言われたとおり、ラボラトリーに近づくことはなかった。
風向きが変わったのは、オーエンの一件からである。
なし崩しに色々と暴露されてしまったのはお互い様。ブラッドリーとフィガロは、とりあえずは協力関係を維持する方向で話をつけたらしい。紆余曲折の果て、ネロの定期メンテナンスはフォルモーント・ラボラトリーが請け負うことになった。カルディアシステムを搭載してまともに動いているアシストロイドはまだ数が少ない。ラボラトリーとしては、サンプルが多く欲しいのだろう。メンテナンスをする代わりにデータを提供する。その条件を飲む代わりフィガロ以外の担当者をつけろというブラッドリーの要請により白羽の矢が立ったのがファウストである。
「信用されてないのは悲しいけど、まあ、俺もこの子にカルディアシステムの技術を叩き込みたかったからちょうどよかった」
とは顔合わせの際のフィガロの弁だ。
ネロのことなどちょうどいい教材程度にしか考えていないのだろう。水を向けられた青年は、線が細くて繊細そうに見えた。生真面目そうだが、頼りなさそうでもある。ネロをじっと見つめた後、もの言いたげな視線をフィガロに向ける。その視線に気がついたフィガロは、軽やかな笑顔を浮かべてみせた。
「大丈夫だよ、ファウスト。きみの技量は確かだ。ペットロボットも悪くないけど、そろそろアシストロイドの開発に戻ってもらわなくちゃ」
「……はい」
不服と顔にでかでかと書いているが、上司の言葉を拒絶するのは気が引けたのだろう。渋々、といった風に頷いていた。
今のファウストはあの初対面の時のように不満そうで、あの時よりも怒りが勝った顔をしていた。原因は、ネロの右足だ。関節が破損して、膝から下が取れてしまっている。手術台のようなスペースに寝かされて、他の損傷や異常がないかを検分された。
「きみの話をまとめると、暴走していたエアカーから子どもを守ろうとして車道に突っ込んで、勢いあまって車に跳ねられた時に右足が吹き飛んだと」
「ハイ……、すんません」
「僕に謝ることじゃないだろ」
「だって先生、怒ってんじゃん」
「怒ってないよ。呆れてるだけ。僕が診るようになってから、手がもげたり足がもげたりするの、これで四度目だよ。今までよくアシストロイドだとバレなかったものだ」
「やー……、ほら、前はもうちょっと慎重だったんだよ。絶対バレちゃいけなかったから。でも今は、バレたらそん時はそん時っていうか」
はあ、と深くため息をついて、ファウストは作業台の隅に腰掛けた。それからネロの手をそっと取る。手のひらや腕には精度の高いセンサーがあるから、少し低めの体温を感じ取ることができた。
「きみは、不死身じゃないんだよ。僕たち人間よりは確かに頑丈にできているかもしれないけれど、マナプレートが砕けても、メモリを損傷しても、きみというアシストロイドはいなくなってしまう」
だからもっと自分を大切にしてほしい。
真摯な声でそう続けられて、ネロは存在しないはずの心臓が高鳴るような錯覚をおぼえた。感情の高まりに連動して、胸に刻まれた百合の紋章が光を放つ。
「……今の話の流れで、なぜ感情が昂ぶるんだ?」
「えっ、なんでだろ……。そんなふうに誰かに心配されることってまずないから、びっくりして?」
人間で言うところの『きゅんとした』とはこういう感覚なのかもしれない。そんなことを考えていると、ファウストは怪訝そうに眉をひそめた。
「きみのオーナーも、ずいぶん心配性に見えたけれど」
「ブラッドが? ないない、あいつに限って心配なんてしねえよ」
修理費用がかさめば怒りはするだろうが、アシストロイドの心配をするようなタマではないだろう。ファウストは腑に落ちない顔をして「まあ、余所の家庭事情には口出ししないけど」と呟いた。
「ともかく、今回はパーツを付け替えれば済むからこれ以上は説教しないけど、今後また同じようなことをしたら付け替えるパーツに猫のタトゥーを入れてやる」
ずいぶんと可愛らしい脅し文句に苦笑が浮かぶ。
出会って数か月のアシストロイドに対して随分と親身になって案じてくれるものだ。たぶんそれは、ファウストが抱える後悔のためだろう。彼はネロの向こうに、別離した誰かの姿を見ているのだ。別にそれは不快でもないし、寂しくもなかった。ネロを通して会いたい誰かの面影に触れられるのは悪い事ではないだろう。人間の役に立つことは、アシストロイドにとっては本能のように刷り込まれた喜びだった。
「じゃあ、関節繋ぐから。脚周りのセンサー落として動かないで」
「了解」
「まったく、こんなパーツと違って、きみの代わりはいないんだから」
「わかってるよ、先生」
それはファウストの嘘偽りない本心だろう。同時に、ネロに別の誰かを重ねてもいる。その矛盾こそが人間である証なのかもしれない。そして、心を与えられたアシストロイドもまた矛盾を育てていくのだ。
もう会えない誰かの代わりになってあげたいし、他の誰かではない唯一無二の存在にもなりたい。どちらも嘘ではないし、すべてが本音でもない。そうやって心は揺れて、震えて、育っていくのだろう。
