檻の中にいる

「もしかして、それって虎模様のつもりなんですか」
 特徴的な髭を見つめているうちにふと思いついて訊ねると、見上げた先で虎徹が苦虫を噛み潰したような顔をした。
 そんなにおかしなことを言っただろうか。別段指摘されて困るようなことでもないはずだ。
 首を傾げて瞬きを二、三度繰り返していると、さらに呆れたようなため息が追加される。バーナビーはむっとして顎を引いた。
 なんだその呆れ顔は。もしかして馬鹿にされているんだろうか。
「あのなあ、バニーちゃん」
「バニーじゃありません、バーナビーです」
「オーケー、バーナビー。俺のお髭が格好良いのは真実だから仕方ないとして、お前さんはこの状況で他に気になることはないのか?」
(この状況?)
 意外にもあっさりと訂正を受け入れた――いつもならもっと大人げなくからかってくるはずだ――虎徹を不審に思いながら自分の置かれた状況を鑑みる。
(どこだ、ここ)
 まず浮かんだのはそんな疑問だった。
 バーナビーは窮屈なソファに寝そべっていた。固く安っぽい寝心地は自分の家のソファとはまったく違う。では、ここはどこ?
 自問するより速く記憶にかかった靄が一瞬晴れた。そうだった、仕事帰りに虎徹に捉まって、強引に彼の家まで引っ張って行かれたのだ。その証拠に焦点さえ結べないほどごく近い距離に虎徹の顔がある。彼はちょうどバーナビーに覆いかぶさるような体勢で、利き腕をソファについて身体を支えていた。そこまでを分析して、至近距離に虎徹がいる理由が却ってわからなくなった。
「僕はあなたを淫行の現行犯で捕まえるべきですか?」
「なんで俺がお前を襲うんだよ!起こそうと思ったらお前が引っ張ったんじゃねえか!」
「冗談ですよ、うるさいな。わかりましたからさっさと退いてください」
「お前、まだ寝ぼけてるだろ。……ったく」
 このままでは埒が明かないのはお互いさまだ。虎徹は不本意そうな顔をしながらも「よいしょ」と立ち上がった。いちいち親父くさいなと思いながらバーナビーも身を起してソファに座りなおす。馴染みのない小ぢんまりとした部屋が視界に映った。ごちゃごちゃと細かなものが散乱して雑然とした印象の部屋は、殺風景過ぎると評される自室とは真反対だ。
 親睦を深めるためにと虎徹に無理やり引きずられてきたのはすっかり日も沈み切った頃である。真っ向から拒否をするより適当に付き合った方が早いかと思い諾と答えたものの、まさか家に連れて行かれるとは思いもよらなかった。『バーナビー・ブルックスJr.』が外で羽目を外すこともできないだろうという虎徹なりの気遣いだったのだが、バーナビーにしてみればいつものお節介としか言いようがなかった。そこらのバーならば酒を断ることもできたし、適当なところで切り上げられたはずだ。少なくともこんな風に、人前で寝てしまうような醜態は晒さなかったに違いない。
 バーナビーは額を抑えてため息を吐いた。
「……いま何時ですか」
「1時過ぎたくらい。そこで寝るのは構わねえけど上着脱いどかないと皺になるぞ」
「わかってますよ、頭に響くので大声を出さないでください」
「バニーちゃんはご機嫌斜めってか。あれっぽっちで二日酔いか?」
「バーナビーです。だから最初に断ったでしょう、あまり強くないって」
「ハハ、そいつは悪かった。てっきりていの良い断り文句かと思ったんでな」
 あまり反省してなさそうな軽い口ぶりの謝罪とともに、虎徹は持っていたミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。黙って受け取りキャップを捻る。冷えた水をひとくち飲んで、酩酊した思考が少しクリアになった。虎徹は空いた手で自分の顎を撫でている。手持ち無沙汰な時の彼の癖だ。それを何とはなしに眺めていると、視線に気づいた虎徹が己を指さしながら首を傾げた。
「そんなにこいつが気になるか? 別に珍しいモンでもないだろ。カッコイイのはわかるけど」
「あなたの時代錯誤なセンスには全く共感を覚えませんし興味もありませんよ。ただ、」
「ただ?」
「ただ、昔の夢を見たんです」
 素っ気ない嫌味に噛みついてくるかと思いきや、虎徹は静かに復唱するばかりだったので、思わず口を滑らせていた。アルコールが入ったにしろ饒舌に過ぎる。会社命令でコンビを組まされているだけの相手だ。深入りする気もないし踏み込ませるつもりもない。適当に相手をしてあしらっておけばいい。それなのに。
「……何でもありません、忘れてください」
 不自然に話を切っても虎徹はそれ以上は踏み込まずに「そうか」としたり顔で頷いてみせるのだ。
 バーナビーは奥歯をぎりと噛みしめた。そうやって勝手に理解した顔をして、この男が自分の何を知っているのだというのだ。たかだか十年ばかり長く生きているだけの癖に。
(この人と話していると調子が狂う)
 いい歳をして後先考えない上に感情的で、いっそ子供じみてさえいるのに、虎徹は妙に間合いを取るのが上手かった。こちらが息を吐き切ってしまった一瞬のあいだに心臓を素手でつかむような真似をする男だ。年の巧といってしまえばそうなのかも知れないし、彼の持って生まれた性質なのかもしれない。どちらにしろバーナビーにとっては迷惑な話だった。
 酩酊した夢の端で思い出したのは幼い頃のささやかな記憶だ。家政婦に連れられて初めて動物園に行った時の。両親は忙しい人たちだったから子供をそんなところに連れていってはくれなかった。そうした思い出はたいてい人の好い家政婦が哀れんで与えてくれたものである。バーナビーは聡明な子供だったから本来は荒野を走るべき生き物が窮屈な檻の中で寝そべっているのを哀れに思ったが、同時に家政婦の気づかいも理解していたのでせいいっぱい楽しそうに振る舞った。
 あの時、檻の中からこちらを見つめていた琥珀の瞳が、目の前の男の姿に重なる。
「あなたはどうしてヒーローなんてやってるんですか」
 ほとんど無意識のうちにこぼれた問いに虎徹は驚いたように目を見開いた。なんだよ、藪から棒に。そう言って微かに笑むのが癇に障って、バーナビーはきゅっと眉を寄せる。
「ショウアップされた、なんて聞こえはいいけど所詮は見世物でしょう。僕らを見ている人たちは、異能者を檻の中に閉じ込めて、それで安心したつもりになって外から指さして喜んでいるんだ」
 吐き捨ててから自嘲に唇が歪んだ。アルコールのせいにしても余計なことを喋りすぎている、そう自覚する一方でいっそ全部を吐き出してしまいたいような衝動に襲われる。思えばこの男の前では、最初から外面の良い好青年を演じようという気すら起きないのだ。
「そこまでわかってんなら、どうしてお前はヒーローやってるんだ?」
 壁に背を預けてビールの缶を弄んでいた虎徹が低い声で問う。普段は琥珀に見える両の目が煮詰めたように濃くなった。バーナビーは軽く微笑んでそれを見上げた。
「決まってるじゃないですか、悪いやつらを捕まえるためですよ」
「……俺も似たようなもんだよ、バニーちゃん」
 虎徹はバーナビーの髪をくしゃりと撫でた。子供扱いするのはやめてくださいと手を払って抗議をしても笑ってかわされてしまう。
「俺から見たらお前なんざ、まだよちよち歩きのひよっこだよ」
「そんなことを言うからおじさん呼ばわりされるんですよ」
「うっせ。ほら、大サービスで毛布取ってきてやるから上着脱いで寝とけ」
 言うなり虎徹は背を向けてしまう。今夜はこれ以上は踏み込む気はないらしい。まったく性の悪い大人だ。ミネラルウォーターをもうひとくち飲んでから、言われた通りに上着を脱いでソファに横になる。目を瞑ると余計なことを口走り過ぎた後悔がどっと押し寄せるけれど、もうどうしようもない。全部酒のせいにして明日になったら忘れたふりをしよう、そう心に決める。
「なんだよ、もう寝ちまったのか、バニー?」
 程なくしてからかうような声音と毛布が落ちてきたがバーナビーは眠ったふりをした。何が面白いのか虎徹はもう一度くしゃりと頭を撫でてきた。寝ているふりをしているせいで払うこともできずに、バーナビーはじわりと伝わる体温をやり過ごす。
 この手は守るための手であって自分のものとはまるで違うのだ。そんなことは分かっているくせに。
(なにが、似たようなものだ。うそつきめ)