あのね、とってもきれいな緑色をしているのよ。お星さまみたいにきらきら光るの。
愛娘の声が聴こえたような気がした。もちろんそんなものは幻聴だ。ここは娘を預けた実家ではなくて今では一人住まいのアパートメントの玄関だし、だいたいもう0時をとっくに回っている。きっと今ごろあの子は夢の中だろう。
娘の代わりに、というわけでは決してないが、虎徹の腕の中には癖の強いブロンドの、とびきりハンサムな男がいた。彼は――”She”ではなく”He”だ――バーナビー・ブルックスJr.はヒーローで、自分の相棒で、やっぱりどこからどう見ても男だった。
背丈だってだいたい一緒だし、細身に見えて意外とがっしりしている。しなやかに鍛えられた筋肉なんてものは抱き締めたところでやわらかさのかけらもないのに、なぜだか妙に離れがたかった。虎徹はネイサンと違って硬くて薄い尻を撫でまわして楽しむような趣味など持ち合わせていないし、おそらくバーナビーだってそうだろう。けれど、だったらどうして自分たちは玄関先で切羽詰まったように抱き締め合って見つめ合っているんだろうか。
酔った頭で自問したところで思考は空回りするばかりだ。
そうだ、自分は酔っているし、バーナビーはもっと酔っている。だからお互いに人恋しくて寂しくなったに違いない。まだアルコールの残る頭でそう結論付ける。そうでなければこの愛想のない後輩がのこのこ家までついてきて、挙げ句に玄関の鍵を回して早々キスをしてくるなんてことが起こるわけがなかった。
バニーちゃん、なんてあだ名を付けたのは虎徹だったが、実際のところバーナビーは仔兎というよりはハリネズミだ。警戒心の塊みたいに、撫でようと思って手を伸ばしても、周りが全部敵だというように全身を針で覆って拒絶してくる。可愛げのない奴だと呆れる一方で、おそらくまだ子供なんだろうと思っていた。本当に拒絶する気があるのなら外面を崩さずに適当にかわしてみせるほうがよっぽど簡単だ。けれど頑なに弱味を隠そうとして、そのくせ孤独に耐え忍ぶように寂しい目をするから、こっちだってつい手を伸ばしたくなる。
もっとも甘やかしてやりたいとは思っても下世話な感情があったわけではないし、こんな風に甘えられるとはまったくの想定外だった。
バーナビーは焦れたようにネクタイを引っ張ってほとんどぶつけるみたいな稚拙なキスをしかけてきた。実際、歯と眼鏡がぶつかって痛いだけだ。小さく呻いていたからたぶんバーナビーも痛かったんだろう。スマートな振りをしてるくせに変なところで不器用というか、初心な奴だ。かわいそうに、こいつはキスの仕方もろくに知らないのか。そう思ったらなんだかたまらなくなって、こめかみを撫でるついでに指でひっかけて眼鏡を奪ってやった。
薄く色の入った愛想のない眼鏡を取り払うと、南の暖かい海みたいなグリーンアイズだとか整った鼻梁だとかが際立って見えた。アルコールのせいなのか目の縁はほんのり赤みを帯びている。ああ、こいつ睫毛長いんだな。影が落ちて色濃く見える瞳に、場違いな感慨を覚える。
(とってもきれいな緑色をしているのよ)
楓の言葉を思い出す。バーナビーに助けられたあの子は、間近でこの緑の瞳を見たのだろう。テレビやブロマイド越しではなく、いっとう明るくきらめく星みたいなこの目を。
手を伸ばしても届かない星を語るように、それがどんなに素敵な秘密なのかを、あの子は何度も語って聞かせてくれた。それを思い出して、罪悪感が心臓を締め付ける。楓に対してか、バーナビーに対してか、遠く届かないところへ行ってしまった彼女に対してなのかはわからない。あるいは全部なのかもしれなった。
情欲を含んだ瞳は照明を弾いてきらめいている。
その中に自分が映っているのが見えて、眼鏡を取り上げたことを後悔した。見なければ良かった。見なければ、たぶん、踏みとどまって後戻りできたはずだ。
「そんな物欲しそうな目をするなよ」
だから、わざとらしく揶揄する口調で囁いた。そうすれば潔癖なところのあるバーナビーの怒りを買って、彼が我に返るのではないかと期待したのだ。自分から手を離す気にはなれないのに相手に決断をゆだねるのはいささか卑怯な気もしたが、それだけ自分にも余裕がないのかもしれない。
バーナビーは驚いたように瞬きを繰り返したあと、泣くのを堪えるように目を眇めた。
「ずるいひとだな」
詰ることばはどこか甘さを残す響きだ。震えるくちびるは笑みを形作ろうとして失敗したように歪む。そんな顔をさせたいわけじゃない。虎徹は己の浅慮を悔いた。ここで突き放せるならこの子供は最初からこんな真似をするわけがないと、頭のどこかでわかっていたはずだ。それなのに悪あがきをするから自ら退路を断つはめになるのだ。
「ぜんぶ、あなたのせいですよ」
(そうだな、ぜんぶ俺のせいだ。)
酔ってるから、人恋しかったから、なりゆきで。そんな風に理由を取り繕うのは簡単だ。そうやって自分を誤魔化すのが苦にならない程度には長く生きている。けれどもバーナビーにはそれが難しいのだろう。その愚直な誠実さを憐れむよりは愛おしく思う。
虎徹は軽く笑って息を吐いた。
それをため息と捉えたのか、バーナビーの肩が震える。虎徹は笑みを深くして、目くらい瞑れよと囁いた。こういう時はそうするもんだ。バーナビーは驚いたように目を見開いて瞬きを繰り返した。何かを紡ごうとふるえる唇を唇で塞ぐ。息を呑む気配がして、背に回された腕に力が籠った。アルコールのかすかな苦味が舌を刺激する。
けれど酔っているからでも、人恋しいからでも、なりゆきでもないことはもうわかっている。
ただ、伸ばした手の中に星が落ちてきただけだ。
(Twincle Twincle Little Star, How I wonder what you are!)
