花をうめる

 手袋が泥で汚れている。土を触ったおぼえなどなかった。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、途切れた記憶に「ああ、またか」とうんざりする。どうやら中庭の片隅に座り込んでいたようだ。素早く周囲を見渡すと、未練がましくこの世に繋ぎ留められた亡霊と目が合った。彼の他に人影はない。
 オーエンは苛立たしげにため息を吐いて立ち上がる。舌打ち交じりに呪文を唱え、裾や手の汚れを落とした。
「おや、どうやら戻ったようじゃの」
 朗らかな声がひどく癇に障った。
 愚者のような自分を見られたのだと知るたびに、オーエンの矜持は傷つけられる。本当はこの《傷》を知る者など全員殺してやりたかった。しかし既に死んでいる者を殺すことはできないし、双子をまとめて始末するのはさすがに骨が折れる。なにより騒ぎになって、他の魔法使い――たとえば、目敏いブラッドリーやフィガロあたりに秘密を知られてしまっては元も子もない。
「馬鹿な僕は、おまえとここで何をしていたの」
「そう拗ねるでない。他愛もない遊びをしていただけじゃ」
 ホワイトは頑是ない子供をあやすように苦笑を浮かべた。幼い姿には不似合いな老獪さが、琥珀の瞳に滲んでいる。
「遊び?」
「ほれ、その穴よ」
 小さな掌が、オーエンの足元を指し示した。
 地面には両の掌で掬えるほどの穴が掘られていた。穴の中には花びらが敷き詰められている。そして冬の湖に氷が薄く張るように、ステンドグラスで塞がれていた。硝子越しに昼下がりの陽射しを浴びて、花びらはきらきらと宝石のように光っている。
 ――花かけらの波みたい。
 オーエンは夜空に流れる不思議を思い出した。
「《傷》のそなたがなにやら土を掘り返しておっての。何の遊びかと問うたが、わからないと言って途方に暮れるので、一緒に花を埋めてみたのじゃ」
 いつだったか氷の街でそうした遊びをする子供を見かけたことがあったのだとホワイトは続けた。硝子で塞いだ穴の上から土を被せて、他の子らに探させていた。そういう他愛のない遊び。
 ふうん、と気のないそぶりで相槌を打ちながら、オーエンは指を鳴らした。
 次の瞬間、ステンドグラスは粉々に砕け散り、泥と花に混ざりあった。あとは魔法を使うまでもないことだ。革靴で土を蹴り、穴を埋める。泥を踏み固めてしまえば、そこに儚くうつくしいものがあったことなど誰にもわからない。
「まったく、悪い子じゃ」
「そんなの今更でしょ。馬鹿な僕のことなんて放っておいてよ」
 ホワイトは細い肩を竦めた。
「《傷》のそなたは分別のない幼子のようなもの。野放しにすればいずれ惨事を招くであろう」
 善を善と知り、悪を悪と知るそなたとは違う。そう告げられて、オーエンは返す言葉を見失う。沈黙がふたりの間に横たわった。気の遠くなるような過去と遥か遠い先を見透かすような眼差しを向けられて、そっと目を逸らす。
 オーエンの《傷》を知る老魔術師は、中央の若い魔法使いにケルベロスをけしかけたのが『どちら』だったのか察しているのだろう。
「……知らないよ、そんなこと」
 吐き捨てて、オーエンは踵を返す。
 惨事ならば望むところだ。おまえのせいだと向けられる憎悪や怒りは、滴る蜜のように甘い。悪意も悲哀もオーエンにとっては糧となる。なにより、あの月のように忌み嫌われ、畏れられるのは気分がいい。――それなのに。

(おまえのせいじゃない)

 流れる雲が陽射しを遮り、足元に影を落としている。
 黒い影は血溜まりのようだった。
 ふとした折に瞼の裏に浮かぶのは、血塗れで倒れた男の姿だ。食い散らかされたはらわたが赤黒く腐りかけた果実のように見えた。冷えていく指先と青褪めた顔には覚えがある。死んでいく者の気配。オーエンも死の直前には同じ匂いを纏う。オーエンと違うのは、眼下の男は死んだら生き返らずに石になるということだった。西の魔法使いに指摘されるまでもなく、そんなことはわかっていた。
 どうしてあの時カインを石にしてしまわなかったのだろう。
 まだ赤児のように弱い魔法使いであっても、殺して石にしてしまえば腹の足しくらいにはなったのに。賢者や王子が嘆き悲しもうが、オズの不興を買おうが、オーエンの知ったことではない。
 石になった魔法使いの替わりなど、いくらでも召喚できるのだ。いまだって去年と半分近くが入れ替わっている。石になってしまった者たちのことなど、もはや誰も話題にしない。また一人欠けたところで、時が経てば同じように忘れ去られるだけだ。
 それなのに、どうしてカインを石にしなかったのか。
 どうして血溜まりに落ちた手を取って、名前を呼んでしまったのか。
 なぜ、くだらない祈りに縋りついて、いけすかない医者のもとまで運んでしまったのだろうか。
 ――どうして僕は、おまえが石になるのを見たくないの。
 あの夜をこえて、幾度となく胸のうちで繰り返しても答えは返らない。
 これまでオーエンに答えをくれる者など誰ひとりいなかった。これからもいないだろう。だから答えなど期待するだけ無駄だ。それなのに何度も繰り返してしまう。
(どうして?)
 まるで、舌に馴染んだ呪文のように。

 部屋に戻ろうと魔法舎の廊下を歩いていると、馴染みのある快活な笑い声が響いた。煩わしげに向けた視線の先、吹き抜けから見える階下の廊下をカインが歩いている。
 オーエンはぎょっとして足を止めた。
 カインのとなりに並んでいるのはオズだった。何がおかしいのか、朗らかに笑いながら、中央の騎士は魔王の背中を叩いた。古い友人のように、親しげに。
 オーエンは血の気が引いていくのを自覚した。ないはずの心臓が瞬く間に凍りつく。吹雪を吸い込んだかのように喉と肺が焼け爛れ、息が詰まる。
 気がつけば魔道具のトランクを携えていた。
 魔力の気配に気付いてか、しかめっ面で叩かれるままに揺れていたオズが、ちらりと視線を寄越した。そのひと睨みで一度か二度は殺されることを覚悟する。けれど、オズは面倒くさそうに目を逸らし、ため息をついただけだった。それきりオーエンには目もくれない。カインはオーエンに気付くことなく、オズに話しかけている。
 二人が廊下の向こうに姿を消すまで、オーエンはただ立ち尽くしていた。
 あの馬鹿、と吐き出した声は無様に震えている。
 おまえなんて、瞬きをするあいだに石にされてしまうのに。どうしてあんな真似をするのか。もしかして自殺願望でもあるのだろうか。
 それから手にしたトランクをじっと見つめた。これを開けて、ケルベロスを放って、自分はどうするつもりだったのだろう。
 まさか、あのオズからカインを守ろうとでも?

 ありえない。北の魔法使いは己の矜持のためにのみ戦う。誰かを守るために命を賭けるなどという愚は犯さない。あの過酷な大地では、間違えた者から石になるからだ。
 渡り廊下の窓に映った青年は、いびつな笑みを浮かべていた。
「でも、騎士様が石にされたら困るだろ」
 ――どうして、困るの?
 窓に映る男がそう問いかけてくる。
 あの男と同じ、夏の花の色をした瞳と、血だまりの色の瞳が、じっとこちらを見つめていた。――そうだ、目玉だ。オーエンは呟く。
「あの目玉は、僕の目玉だ」
 あの男ではなく自分の目玉を守りたいのだ、という答えは、実にもっともらしく、真実めいて聞こえた。勝手に奪って勝手に埋めた目玉だが、今はあの男の眼窩に収まっていることは揺るぎのない事実である。
「僕の目まで、勝手に石にされちゃたまらない。だから守るだけだよ。当たり前でしょ」
 窓硝子に映った男は、それ以上は何も問わなかった。ただ満足そうに微笑んでいるだけだ。オーエンも同じように微笑んだ。疑問が解ければ、気分は自然と晴れやかになる。
 彼は軽い足取りで部屋へと向かった。