さてどうしたものだろうかと佐助はしばし思案した。
眼前には涼やかな風情の菓子が置かれている。白い外郎に小豆を乗せて三角に切ったそれの名と同じく、奥州も今は水無月の終わりのころ、杜の都となれば少しは暑気もやわらいだものかと抱いたかすかな期待は見事に裏切られた。普通に暑い。
(これじゃ何のために来たんだか)
否、別段涼みに来たわけでもないのだが。
黒文字を片手に僅かばかり顔を上げると、静かな所作で茶を点てる手が目に飛び込んできてどきりとする。六爪を得て獣のように敵を屠る様なら見慣れているが、手甲を解いた白い指は獣には程遠く、相手が貴人であったことを久方ぶりに思い出させた。
「あのさあ、独眼竜の旦那」
「なんだ?」
奥州を統べる若殿手ずから点てた茶を差し出され、佐助はふうとため息を吐いた。
「俺様の職業知ってる?」
「あの熱血馬鹿の子守男だろ」
「違えよ! 忍びです、し・の・び! 子守男でも飯炊き男でも迷子捜索係でもねえよ!」
「Ah? それがどうした子守男」
「……もういっそ子守男でもいいけどねこの際。一介の子守男は茶の作法なんて知らないんですがどうすればいいのでしょうか。お手前頂戴しますとか言えばいいの?」
赤楽の茶碗を前に唸る忍んでいない忍びに、政宗はそんなことかと呆れた顔をした。
「Ha! 端からアンタ相手に作法がどうのと言う気はねえよ。好きなように飲めばいいだろ」
「奥州筆頭の茶室に招かれて、はいそうですねって味噌汁啜るみたいに飲めるわけないでしょうが。ここに連れてこられた時点で、俺は真田の名代扱いになっちまうんだよ」
「真田なら味噌汁みたいに啜りそうだがな」
独眼竜はにやりと人の悪い笑みを佩く。
この人ほんと性格悪いなあ知ってたけど。もはや諦観を念を隠さずありありと浮かべて、佐助は肩を落とした。
ことの始まりは雇い主から奥州へと宛てた書簡を届けるよう命を受けたところにある。彼の主は身の軽い佐助を割と気軽に扱き使った。(佐助としては自分は真田の、ひいては武田軍勢の子守男でも飯炊きでも迷子捜索係でもないつもりだが、平時は案の定というべきかそうした雑事一切に追われる有様だ。)先だっても物のついでのように「政宗殿へ文を届けてほしい」と頼まれ、こうして奥州くんだりまで訪れるはめになったという次第だった。
書簡の内容とは、おそらくは先の織田軍との戦いのことだろうと踏んでいる。
助けられた礼と、政宗の受けた傷への気遣いとを暑苦しく書き綴って、また手合せできる日を楽しみにしているとか何とか結んでいるに違いない。もちろん盗み読んだわけではなくそれぐらいは容易に想像できたし、書を受け取ってその場で読み始めた政宗の表情に、あながち外れてもいないだろうと確信をした。
返書を考えるからしばし待てと言われて、連れられたのがなぜか茶室だ。
(この人もなんというか……自由だなあ。)
己の主とはまた違った方向で、端的に言うと思考が突飛だ。地に足がついていないわけではない。目の前に道が敷かれていることを知っていて、だが泥の畦を突っ切れば近道があることも知っている。ふらりと気儘にその二本足でどこなりと歩いていきそうな、そうした自由な気配が彼にはあった。その身分を考えればそうそう気安くあるはずもないのだが。
丁寧な所作で椀を口元へ運ぶ姿は戦場で見る気狂いじみた獣からは程遠く、不意にぐらりと眩暈を覚えた。
いつの間にかこの男に興味を持っている。それを認めるのはやぶさかではない。
けれど興味本位で踏み込むのは危険だと頭のどこかで警鐘が鳴った。少しばかり情がわいたからと迂闊に近づけば痛い目に遭うのは自分に違いない。火傷を負うとわかっていて火中に手を伸ばす愚かな忍びがどこにいるというのだ。そんな馬鹿は自分の主一人で充分だ。自分の役目は、火の中に手を突っ込もうとする主の手を叩き落とす方である。
「……返事」
見よう見真似で薄茶を啜り、その苦さに眉をしかめながら低く催促すると、政宗は軽く首を傾げてみせた。
「早いところ返書を頂いてお暇したいんですがね」
「せっかちな忍びだな」
「早く帰らないとうちの大将が腹を空かして暴れかねないんでね」
真顔で返せば男は隻眼を見開いてからくつくつと喉奥で笑う。そいつはしかたねえなと言って小姓に硯と筆を持たせた。ここで書くつもりかと目を見張る佐助の腕をむんずと掴み、無遠慮に袖をまくる。
「え、ちょ、何する気だよ!」
「Shut up! 紙が勿体ねえだろ。じっとしてろ」
独眼竜は嬉々とした顔で筆に墨を乗せて佐助の腕に置いた。ああもうこの人何考えてんの! 展開についていけずに泣きそうになる佐助などお構いなしに、さらさらと筆が動く。
君が往き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ――なんだこれ。
むき出しの肌に落とされた無駄に達筆な墨色を睨んで唸る。
教養人には程遠い佐助すらどこかで見聞きしたことがあるような詩歌だった。記憶が正しければ、たしか、恋を歌っているのではないだろうか。少なくとも好敵手に送る類のものではない。断じてない。
「……なあ、旦那。これ、どういう意味?」
見ない振りをした方が良いと己の賢明な部分が訴えたがどうしても突っ込まずにはいられなかった。好奇心に殺されるかなあ俺。心中で呟きつつ見返した先、奥州の若き竜は今にも鍔元を鳴らしそうな獰猛な笑みを浮かべてみせる。
「とっとと傷を治して首洗って待ってろよ、って意味だ。You see?」
なんだか知らないがご機嫌だねえ。
破廉恥でござる!とか何とか叫ぶ雇い主の姿を目蓋の裏に思い浮かべ、佐助は椀に残った苦い茶をずずずっと啜った。
