「いやあ、まいった。途中で吹雪いてさあ」
客間を訪ねると、シルヴァンは雪に濡れた服を脱いだところだった。暖炉の前の長椅子に、水気を含んで重たげな外套やら襯衣やらが無造作に掛けられている。
夜半から強まった雪は明くる日の昼過ぎには止み、今はすっかり穏やかな空模様だったが、朝方に隣町を出立した男はすっかり雪まみれの姿でフラルダリウス公爵家の城門を叩いた。
城下町に入るまでが大変だったのだと笑うシルヴァンに、フェリクスは素っ気なく肩を竦めた。
「遭難しなくて何よりだな」
ゴーティエの御曹司が雪に埋もれたなどと噂が立てば、いい笑い者だ。
「なんだよ、冷たいやつだな。せっかく逢いに来てやったのに」
「来てくれと頼んだ覚えはないが」
鼻で笑うフェリクスに、シルヴァンは拗ねたように口を尖らせて「かわいくないの」とぼやいた。
「もうすぐ十七になる男が、かわいくてたまるか」
軽口を返しながら着替えを渡す。
「ありがとな。……これ、お前の?」
「いや、親父殿の服だ」
「だよなあ」
入るかな、と呟きながらシルヴァンが襯衣に袖を通す。
赤髪の幼馴染はここ数年ですっかり背丈が伸びてしまった。フェリクスの服では丈が合わないことは明白だったので、不本意ながら父の部屋着を拝借したのだ。着替えを召使いに持たせてもよかったのだが、フェリクスもちょうど暇を持て余していた。
「ロドリグ殿は街か?」
「……そのようだな」
わざとらしく気のない返事に、シルヴァンが苦笑してみせる。おおかた子供じみた反応に呆れているのだろう。決まり悪さをごまかすように舌打ちすれば、それ以上の追及はなかった。
「落成記念日だもんなあ」
雪に閉ざされた冬を過ごすファーガスの民にとって、冬至祭は数少ない娯楽のひとつだ。星辰の節の中ごろから大修道院の落成記念日にかけての十日余り、街の広場では火が焚かれ、秋の実りが女神への供物として捧げられる。
教会が聖別した薪で焼いた山羊肉や葡萄酒が振る舞われ、露店は家族へのささやかな贈り物を買い求める人々で賑わった。祭りの半ばに王子の誕生日を迎えることもあり、ファーガスでは珍しく、明るく華やかな雰囲気の日々が続く。
大修道院の落成記念日は、冬至祭の締め括りとして特に盛大に祝われた。領主であるロドリグは、祝祭の最後の日には侍従を伴い城下町に降りるのが慣習となっている。兄のグレンが亡くなるまではフェリクスも共に祭を楽しんだものだったが、四年前からは父との折り合いも悪く、独りで屋敷にこもることが多かった。
シルヴァンがこの日にフェリクスの元を訪れるようになったのは、おそらくはこうして独りで過ごす自分を気遣ってのことだろう。面倒見の良い幼馴染は何かにつけてフェリクスのことを気にかけている。この男の中ではいつまで経っても頼りない幼い子供のままなのだろうかと、たった二つ半の年の差を口惜しく思うこともあるが、顔を見れば安堵する自分がいることも自覚していた。本人にそれを伝えるつもりはなかったが。
ぱちりと暖炉の炎が爆ぜる音が響く。
渡した部屋着は、少しばかり窮屈そうではあったものの着る分には問題ないようだった。長椅子に腰掛けたシルヴァンはようやくひと心地ついた様子で、寒さに強張った腕をほぐすように伸びをした。
「まあ、来年からは士官学校だし。お互い羽根を伸ばそうぜ」
シルヴァンとフェリクスは年が明けて大樹の節を迎えれば、ガルグ=マク大修道院に併設された士官学校へ入学することが決まっている。王子ディミトリの入学が決定し、年の近い幼馴染たちも学友として随伴することとなったのだ。要するに王子の護衛役を期待されているのだろう。
父の言いなりになるのは癪ではあったが、全寮制の士官学校に入学してしまえば領地を離れることができる。この屋敷で鬱屈を抱えているよりは幾らかましだろうとは思えた。もとよりフェリクスには選択権のない話だったが。
「……しかし今度は毎日猪と顔を合わせるのかと思うと憂鬱だな」
「まあそう言うなって」
シルヴァンは宥めるように笑った。数年前からフェリクスがディミトリに向けるわだかまりについて、彼は深くは聞こうとしなかった。面倒見の良さに反して、ひとの心に無遠慮に踏み込むことはけっしてしない男だ。シルヴァンのそうした性分に甘えている自覚はあったが、かの王子の深く暗い傷痕をどうしてやればよいのか、今のフェリクスにはわからない。距離を置くより他に術がなかった。
「ガルグ=マクじゃ落成記念日には舞踏会が開かれるんだとさ。ほら、お前も制服の採寸しただろ」
「そういえば、そんなこともしたな」
士官学校では制服を着る決まりだとかで、仕立屋を屋敷に呼んだのが何節か前のことだ。
「礼服も仕立てるらしいぜ、舞踏会用の」
「……面倒な」
フェリクスは顔をしかめて舌打ちした。
礼服を持参するということは、つまりは士官学校の学生は全員参加が義務付けられているのだろう。舞踏会などという貴族の社交場自体を好まないフェリクスには今からうんざりさせられる話だった。
「そう言うだろうとは思ったけど」
予想通りの反応だったのだろう、シルヴァンは小さく苦笑した。それから、乾かしていた外套の懐中を探り小さな包みを取り出す。
手招きをされてフェリクスが歩み寄ると、シルヴァンは包みを開いて中から何かを取り出した。手を差し出すように促される。素直に差し出したフェリクスのてのひらに落とされたのは、金の縁飾りに大粒の柘榴石が嵌った襟止だった。
とろりとした深紅の石が装飾灯の明かりを跳ね返して、てのひらの中で炎のように艶めいている。
「なんだ、これは」
「礼服用の襟止だよ。きれいだろ?」
「……趣味が良い品だというのはわかるが」
なぜ自分に渡すのか、というフェリクスの疑問を、シルヴァンはおそらくわかっていながらはぐらかした。
「お前の目の色に似てるだろ。きっと似合うと思ってさ」
「そういう台詞は女にでも言え」
まるで口説き文句のようだった。なぜだか無性に苛立って、フェリクスは苦々しく吐き捨てた。女たちに囁くような言葉を吹き込まれることが不快だった。
年上の幼馴染はわずかに傷ついたような色を瞳に浮かべる。
「そんなこと言うなよ」
シルヴァンは哀れっぽい声で囁いて、フェリクスが着ていた白いブラウスに襟止をつけてみせた。部屋着には不釣り合いな、きらびやかな石の重みにフェリクスは眉をしかめる。
「これは、お前のために選んだんだぜ」
「シルヴァン」
低く名を呼んで睨みつけても幼馴染はどこ吹く風といった様子だ。満足げに笑いながら、シルヴァンは襟止をそっと撫でる。
「思ったとおりだ、よく似合ってる」
「……チッ」
柘榴石は魔除の石だ。武具の飾りにも愛用されるから、それを贈る際に込められる意味はフェリクスでも知っていた。
勝利、友情、恋の成就。一途な愛。
女たちとの駆け引きを楽しむ男が、その程度の意味を知らないはずがない。こちらを見つめるシルヴァンの瞳は、友愛と取るには熱っぽく、恋情と取るにしては欲がない。贈られた品をどう受け止めれば良いのかわからずに、フェリクスは目を伏せた。
「来年の今日はさ、誰と踊るにしてもこれをつけてくれよ。せっかく用意したんだし」
「……気が向けばな」
見知らぬ誰かと踊る気などはじめからなかったが、それを伝えてやるのも癪だった。どうせこの男は、来年の今頃はきらびやかに着飾る女たちと踊るのだ。こんな真似をしておきながら、自分になど見向きもせずに。
「予行練習も兼ねて、久しぶりに踊ろうぜ」
フェリクスの内心など知らずに、シルヴァンは楽しげに笑って右手を差し出した。
返礼を用意していないから、これはその代わりなのだと自分に言い訳をしながら、フェリクスは差し出された手を取った。
シルヴァンがワルツの音色を口ずさむ。部屋に流れる音楽は、それだけだった。やわらかな音色をしるべに、子供の頃の戯れを思い出す。いち、に、さん。いち、に、さん。幼い頃は大人たちに憧れて、こうして手を引かれながら踊りの練習をしたものだった。昔からシルヴァンの方が背が高かったせいで女役ばかりさせられたのが不満ではあったが、十年ほどが経っても案外足運びも覚えているものだ。こちらを見下ろすシルヴァンの瞳は砂糖を煮詰めたように甘ったるい。フェリクスは促されるまま背を逸らし、脚を高く上げた。薄いくちびるに自嘲めいた笑みが浮かぶ。
ーーなんて馬鹿げた茶番だろうか。
冬至祭を祝う宿木の下で、二つの影がただ夜に揺らめいていた。
