パレード

 中央の国、城下町の外れに年季の入った店構えの仕立て屋がある。
 創業から優に二百年を超える老舗だ。その店の重厚な扉を、スーツ姿の若い男が押し開いた。からんからん、と軽やかなドアベルの音が店内に響く。
 来客を知らせる鐘の音に、店の奥から出てきたのは小柄な老紳士だ。この仕立て屋を一人で切り盛りしている店主だった。店主は来訪者の姿に目を瞠ってから、すぐに丁寧な微笑を浮かべた。
「これはこれは、オーエン様。お久しゅうございます」
「やあ、久しぶり。まだ死んでなくてよかったよ」
 オーエンと呼ばれた男は軍帽を脱いで微笑んだ。
 背は高いが細身の青年は、顔つきからして二十代前半と言ったところだろう。
 銀灰の髪とガーネットをはめ込んだような目が特徴的な、優しげな顔をした青年だった。
 応接用のソファに座るように青年に促してから、店主は茶器を取りに店の奥へ戻った。
 『北の魔法使いオーエン』の名前を知らない者はいない。
 人の心を惑わし、狂わせる、悪魔のような魔法使い。悪い子は『オーエン』が拐いにくるだなんて脅し文句で親に叱られた記憶がある者も多いだろう。悪名高き魔法使いと同じ名前の青年は、その仕立て屋の古くからの常連客だった。最後に青年が店を訪れたのは、かれこれ三十年は前だろうか。その時とまったく同じ姿で、オーエンは訪れた。店主が生まれる前、先代の時代も、その前も、数十年に一度、その魔法使いは店を訪れる。
 オーエンと名乗る青年は、きっとあの悪名高い北の魔法使いなのだろう。
 けれど、この仕立て屋に訪れるオーエンはいたって善良な客だった。彼が来訪する前後、街では不穏な騒ぎが起きたが、店主に無理難題を押し付けることもなく金払いも良い。であれば相手が魔法使いであろうが、王族や貴族であろうが、客にはかわりがなかった。
 紅茶を差し出しながら店主が用向きを尋ねると、オーエンはにこりと微笑んだ。
「スーツを一式新調したいんだよ。若く見えるせいで古い型を着てると変な目で見られるんだ」
 人間の流行ってどうしてころころ変わるんだろうね、と不満げに唇を尖らせる様は、どこか幼ささえ感じさせる。けれど紅玉を嵌めたような瞳には老獪さが滲み、どうにもちぐはぐな印象だった。
 シャツは黒絹、ジャケットは白のウールで。オーエンからの注文はそれだけだ。あとは今風にしたいんだよ、と魔法使いが続ける。
「若くて少し裕福な行商人に見えるようなのが、都合がいいんだけど」
 年季の入ったトランクを軽く掲げてオーエンは言った。旅人のふりをして喧騒の中に溶け込むのが彼のやり方なのだろう。
 店主は頷いて、いくつか生地をテーブルに並べる。
「今時のお若い方には細いストライプが入ったものが人気ですね。ダブルブレストの方が少し砕けた印象ですし、防寒に優れるので旅をする方ならダブルがいいかもしれません」
「じゃあそれで。襟は?」
「ピークドラペルと言って先が尖ったものが人気ですが、若い方なら少し水平にした方がいいかもしれません。ボタンは四つの方がいいでしょう。後で増やせるようにゆとりを持たせますから」
 オーエンは「それでいいよ」と頷いた。
「ああ、ですが、この店は近々閉めようと思っていたんです。今回のご注文が最後の仕事ですね。次は別の仕立て屋を探して頂かなければ」
「跡取りがいたんじゃなかったっけ?」
 首を傾げるオーエンに店主は苦笑を浮かべた。
「倅は魔法使いですので、この街では店は続けられません」
 店主の息子は魔法使いだった。幼い頃はそのことを隠すよう言い聞かせていたが、若いまま姿が変わらなくなってしまえば、隠し通せるものでもない。
 中央の国に限らず、魔法使いが営む店は信用されない。『魔法を使ってインチキをしているのだろう』と人々は噂し、客が寄り付かなくなる。客が来なければ商売は上がったりだ。職人に限らず、魔法使いがつけない仕事はたくさんある。例えば医者や、騎士などだ。
 南の国には魔法使いの医者もいるらしいが、中央の国ではよほど危険な汚れ仕事につけるかどうかだ。あとは魔法使いを相手にする商売しかない。魔法が使える方が便利な仕事もあるのに、人間は自分たちの仕事を奪われるのを恐れているのだ。店主自身も息子が魔法使いでなければ、魔法使いの職人など信用しなかっただろう。
「変なの。王子様だって魔法使いなんでしょう、この国は」
 北の魔法使いは少女のように微笑むが、声には嘲りが滲んでいる。長命の魔法使いからすれば、人間の意地など滑稽に見えるのだろう。
 オーエンの言うとおり、中央の国の王子は魔法使いだった。幼くして死んだと言われていたが、つい先頃、城に戻ってきたのだ。彼が消えた十年余り前、王子ですら魔法使いであればその存在が許されないのだと、この国に住む魔法使いやその家族は密かに落胆したものだった。アーサー王子が戻ってきた今、再びこの国は揺れている。魔法使いが王になるかもしれない――その未来は、魔法使いを疎む者を苛立たせ、魔法使いたちにとっては密やかな希望だ。けれど、その希望は今はまだ花開くかもわからない儚いものだった。
「そういえば、王子がお戻りになられた記念に、式典が行われるんですよ。ちょうど十日後ですから、お品物をお渡しできる頃合いですが、大通りは少し騒がしいかもしれません」
 店主の言葉に、オーエンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「パレードでもするわけ?生き返った王子様のために」
「ええ、騎士団が先導して、王子がお顔を見せてくださるそうで。今の騎士団長はまだ若い方だそうですが、この国で一番強いのだとか」
 騎士、と反芻して、魔法使いは目を眇めた。何かが彼の気を引いたらしい。
「その騎士団長っていうのも人間?」
「もちろんです。この国では、魔法使いは騎士にはなれませんから」
「……そうだよね、騎士様は人間を守るためにいるんだもの」
 オーエンは独り言のように呟いた。それから外套と帽子を手に立ち上がる。
「十日後に取りにくる」
 そう言って、北の魔法使いは仕立て屋を後にした。

***

 十日後、大通りでは王子の帰還を祝う華やかなパレードが行われていた。
 時計塔に腰掛けて下界を見下ろしていたオーエンは、その先頭を征く騎士団長を見るや、全身の血が沸騰するような気分を味わった。怒りなのか歓喜なのか、自分でもわからない。こんなにも心が乱れるのは何百年ぶりだろう。
 騎士団長は確かに年若い男だった。太陽のような赤髪の、凛々しい騎士。
「――魔法使いじゃないか」
 哄笑が空に響く。人間にしかなれないと言ったのに、あれは間違いなく魔法使いだ。魔力の気配は隠せるものではない。人間如きにはわからなくても、オーエンの目にははっきりと見える。
 人間を守るために剣を振るう騎士になることはこの国では魔法使いには許されないのだと、仕立て屋の老人は言っていた。つまり、あの男は魔法使いであることを隠して、人間であると偽っているのだ。正義を掲げ、王に忠誠を捧げながら、国中の人々を欺いている。
「僕なんかよりよほど悪い魔法使いだね」
 嘘つきの卑怯者が騎士を名乗るだなんて、許されることではないはずだ。
 あの聴衆の前で秘密を暴いてやれば、人々から石を投げられるだろうか。祝賀のムードは一変して、この街は悪意に満ちるだろう。敬愛の眼差しを一身に受ける男が王を欺いた大罪人と罵られる様は想像するだけで楽しかった。
(ああ、だけど、僕の手で殺せなくなるのは嫌だな)
 人間と偽った魔法使いを騎士団長に任じたと知れ渡れば、王家の面子に関わる問題だ。騎士はすぐさま捕らえられて魔法使いが手出しできない地下牢に連れて行かれてしまうかもしれない。ならばこの場で下手に暴くよりは、邪魔が入らない場所を選んだ方が良いだろう。
 さて、どうやってあの男を失意の底に沈めてやろうか。
 その方法を考えるのは楽しくて、歌い出したくなるほどだった。まるで恋でもしているような気分だ。この楽しみをもうしばらく味わうのも悪くはない。
「またね、騎士様」
 箒に乗ってパレードの上空を横切りながら、オーエンはひらりと手を振った。