早春の庭園は早咲きの花に彩られている。
盛りを過ぎた山茶花のそばで慎ましやかに咲くのは馬酔木だったか。あるいは春咲きの椿や水仙の花が控えめに主張している。英国式の庭園とはずいぶんとつくりが違うものの、趣のある庭はアーネストの気に入りの場所のひとつだ。来日してから数年、この国の控えめな美しさを知ることは楽しかった。もっともそれと同じだけ頑なで排他的な気質に失望させられてきたのだけれど。
「君はほんとうに庭が好きだね」
縁側に座ってぼんやりと庭を眺めていると、通りがかった家主がからかうように笑って足を止めた。アーネストは慌てて腰を上げて庭に降り立つ。正座が苦手とは言え屋敷の濡れ縁に腰かけているなどあまり行儀の良い真似とは言えない。同じ八葉という立場のためか生来の性格によるものか、小松がそれを咎めることはないけれど、弱味を見せるのはアーネストの性に合わなかった。
「そんなに珍しい花でも咲いていたかな」
己の庭だというのにさして興味のなさそうな様子で小松は首を傾げた。拍子に萌葱の髪がさらりと揺れる。この国の身分ある人間にしては珍しい総髪は、彼の鋭利な印象をいくらか和らげているように思えた。
「美しい庭は愛でるものでしょう。欲を言えば、土いじりもしたいところですが」
「土いじり! 君は庭師にでもなりたかったの」
「それも素敵ですね。通訳官にならなければ、今ごろ庭師だったかもしれません」
「初めて会った頃は言葉も通じなかったのに、冗談を言うのも上達したものだね」
「おや、これでも本気で言っているんですよ? 花の名前も随分覚えました。これは猫柳と言うんです、ご存じですか?」
アーネストは人差し指を唇にあてて片目を瞑ってみせる。その大仰な仕草にもすっかり慣れてしまった。流暢に話すようになったとは言えやはりどこか心もとない言葉の壁をそれ以外で補おうとする青年の気概を好ましくさえ思う。
「草の名は知らず珍し花の咲く、かな」
「……何かの呪文ですか?」
無意識のうちにこぼれた言葉を拾ってアーネストは瞬いた。「なるほど、まじないのようにも聞こえるか」小松は浅く笑い、裾が汚れるのも気にせずに庭に降り立った。そうして適当に拾った枝で土にさらさらと何事かを書きつける。
「『くさのなはしらずめずらしはなのさく』?」
「ほら、逆さから読んでも同じでしょう。回り歌というのだけれどね」
「回り歌、ですか?」
「『長き夜の遠の睡りの皆目醒め波乗り船の音の良きかな』なんていう歌もあるよ。私は歌を詠むのは苦手だけれど、言葉あそびは嫌いじゃない」
「歌、というのは和歌のことですね。詩文が苦手なのですか?」
小松は頷いて先ほどアーネストがしていたように濡れ縁に腰を下ろした。
「人には得手不得手っていうのがあるんだよ。高杉くんなんかは堅物に見えて艶っぽい歌を詠むようだけど私はからきしだよ。龍馬の方が上手いくらいだね。……なんだい、驚いた顔をして。そんなに意外?」
「いえ、技巧についてではなくて。苦手なものを簡単に認めるんですね。貴方はもっと完璧主義者なのだと思っていました」
「それは君の方でしょう。私はこれでも己を弁えていると自負しているよ。もっとも好いた嫌いだを素直に言えないのは若者らしくて良いと思うけれどね」
アーネストは困惑して眉を寄せた。
小松はこの国の人間にしてははっきりとした物言いをするから、普段ならばアーネストにとっては聞き取りやすい方だ。けれど持って回った言い方をされるとその真意を汲み取ることは難しかった。
言葉という壁はどうしてもアーネストの前に立ちふさがる。それは最初から分かっていたことだ。アーネストは軽く息を吐いてから注意深く小松を見つめた。その視線、あるいは指先の仕草ひとつから意図するところを探ろうと試みる。けれども相手の方が上手で、薄い微笑からは感情の揺らぎを見つけることができなかった。
「……難しいですね」
「何がだい?」
「日本語を勉強すれば貴方の言葉も理解できると思っていたのですが」
小松は軽く笑ってから椿の花を手折った。
「平たく言えば、花を愛でるのと同じことだよ」
「降参です、いったい何が言いたいんです?」
「うつくしいもの、好きなものは素直に認めた方が良いってこと」
アーネストは両手を挙げて敗北の意を示した。小松は悪童めいたやり方でひとしきり笑うと、手折った花をアーネストの胸ポケットに挿す。
「ちなみに私は君のことがけっこう好きだよ」
