「やだあ、太刀川さんチョーカワイイ」
黄色い声を上げてタックルするように腰に抱きついてきた国近の頭をゆるく撫でながら、女子高生の発する「チョーカワイイ」ほど不可解なものもないと太刀川はぼんやりと思った。
彼女たちにかかればその辺の梨やら林檎やらを模したゆるキャラも、自分の隊長である髭面の成人男子も「カワイイ」と表現されてしまうのだ。
太刀川は二十代男子としてはごく一般的な感覚の持ち主だったので「カワイイ」よりは「カッコイイ」と言われた方が嬉しかった。だが部下である少女の好意を無碍にするほど無神経ではなかったので、曖昧に笑ってみせた。
そもそも「カワイイ」と評されているのは太刀川慶本体ではなく、その前髪に留められたヘアピンであった。このところ忙しくて伸びっぱなしだった前髪が目にかかり、それを鬱陶しいなとぼやいていたら国近が差し出したのだ。
「じゃあ、太刀川さんにこれあげる~。ゲーセンで取ったんだけど、わたし赤ってあんまり似合わないから」
赤だろうが黄色だろうがロイヤルブルーだろうが、太刀川の頭につけるよりは国近の方が百倍似合うだろうが、おそらく突っ込んでも無駄だろうと、歴戦のつわものとしての勘が太刀川の脳裏で囁いている。
真っ赤なハイビスカスの造花がついたチープなヘアピンを渡されて固まっていた太刀川に、国近は笑顔で追い打ちをかけた。
「あっそうだ。太刀川さんおとといお誕生日だったでしょ。それ誕生日プレゼントにするね~。大事にしてね」
ほとんど嫌がらせのようにも思えたが、単純に好意なのだろうというところが逆に厄介だ。
現役女子高生に誕生日プレゼントをもらえるというのもある種のステータスなのかもしれないがこれっぽっちも嬉しくない。それでも冷たく突き返すような真似ができるほど太刀川は冷血漢ではない。
しかたなくヘアピンで前髪を止めると、国近は嬉しそうに微笑んだ。
プレゼントというよりは罰ゲームだ。
国近の背後では、必死になって笑いを堪えているらしい出水と唯我がしゃがみこんで肩を震わせている。
「柚宇さんマジつえ~。やっべえ、完全に視覚の暴力」
出水の(笑いを堪えているがために)苦しげな声も震えていた。あとで絞める。太刀川はそうひそかに決意する。二人にはじっくりと模擬戦の相手でもしてもらおう。たまにはチーム内で切磋琢磨するのもいいだろう。
太刀川にとっては不運なことに、A級部隊それぞれに与えられたブリーフィングルームではなく、オープンスペースになっている休憩室で一連のやりとりは行われた。
A級一位部隊の姿を遠巻きに眺めていたギャラリーも、見てはいけないものを見てしまったかのように目を逸らしている。
太刀川は基本的に他人の評価を気にするタイプではなかったが、物事には限度があった。ざわめくギャラリーをまったく気にすることなくこの場で平然としているのは国近くらいのものである。
「なんだ、太刀川。とうとう頭に花が咲いたか」
知り合いに捕まる前に退散してしまおう。そんな太刀川の目論見もむなしく、無駄によく通る声が休憩所に響いた。
「……風間さん」
太刀川たちと同じく、訓練を終えて帰るところだったのだろう。隊長の風間をはじめ、彼の隊のアタッカーたちが連れ立ってこちらへ歩いてくる。菊地原は道端の虫を見るような無感動な目を太刀川に向けた。遠征先では滅多なことで動じない歌川もさすがにどう反応していいのかわからないようで、おろおろと風間を見ていた。
風間は太刀川を見上げて眉をひそめた。
小柄な風間と向かい合えばかなりの身長差が生まれるので、必然的に太刀川の視線は下に向けられるのだが、なぜだかこちらが見下ろされている気分になる。それが風間という男だ。太刀川を見上げる風間は揶揄をするつもりはないのだろうが、呆れた様子は隠さない。
「このところ、猛暑日が続くからな」
「いや別に、頭がおかしくなった訳じゃないってば」
「まあ、たしかにおまえはもとから頭がおかしいが」
「そっちじゃなくて」
「あっ風間さんだ~。太刀川さん、カワイイでしょ? このヘアピンはわたしからの誕生日プレゼントなんですよ」
げに恐ろしきは女子高生の遠慮のなさである。もともとA級のトップ争いをする間柄なので、風間隊とも交流は深い。その分、風間の厳しさや生真面目さもよく知っているだろうに、国近はまったく臆するところがなかった。まあ、それぐらい肝が据わっていなければ太刀川のもとでオペレータなどやってはいられないのだろうが。
国近の言葉で、風間もだいたいの状況を察したらしい。
「なるほどな。そういえば、誕生日だったか」
得心がいったように風間が頷いた。
「おとといだけど」
「まあ、祝い事だというなら、その花もおめでたい感じがしていいんじゃないか?」
あまりにも雑なコメントに太刀川は肩を落とした。肩の力が抜けたとも言えた。もはや見世物にされるのにも慣れてきたし、まともに羞恥を覚えるだけばからしい。
「花の似合う色男だろ」
ほとんど自棄になって吐き捨てると、風間は鼻で笑ってみせた。
「国近、この色男をせっかくだから本部長か広報部のところに連れていったらどうだ。記念写真くらい撮ってくれるかもしれないぞ」
「ちょっと風間さん!」
なんてことを吹き込むのかと慌てる太刀川を尻目に、国近は目を輝かせた。さすがは風間さんだとか何とか言いながら太刀川の手首をがしっと掴む。その華奢な腕を振り払えるようであれば、もちろん最初から頭に花などつけたりはしない。
荷馬車に連れられていく牛のような心境になりながら、太刀川は恨みがましい目を風間に向けた。
「ああ、少し待て。あいにく用意がないのでこんなものだが」
引き摺られる太刀川を呼び止めて、風間は太刀川の空いている方の手に、小さな箱を押し付けてきた。
「なにこれ?」
「誕生日祝いだ。三上が持ってきた菓子だが、うちの隊からということで受け取れ」
「それならありがたく貰っておくけど。あ、そうだ祝ってくれる気があるなら、今度模擬戦の相手してよ」
「そうだな、考えておく」
◆
「忍田さん、どう? かわいい?」
開き直って訊ねると忍田は心底困ったような顔をした。男前が台無しだ。本部長としてボーダーの戦闘員を束ねる男は、昔から意外と感情が顔に出やすい。
本部長室では、間の悪いことに忍田と広報部との打ち合わせが行われていた。
もちろん忍田の直属であると同時に広報部隊としてボーダーの顔となっている嵐山隊も全員出席していた。会議室ではなく本部長室で行うくらいなので軽い雑談レベルのミーティングだったようだが(そのせいで突然訪れた太刀川と国近も入室を許可されてしまった)、おかげで太刀川は必要以上に醜態をさらす羽目になった。
嵐山はさすがにそれほど動じていないが――どこか感性がずれている男なのであまり気にしていないのかもしれない――、彼の部下であり常に冷静で物事に動じない時枝が太刀川の顔を見た瞬間に固まっていた。佐鳥の方は笑いをこらえようとしているのか、口元が引き攣って愉快な顔になっている。木虎はなぜか如何わしいものでも見るような怒った顔で頬を赤くしていた。
「かわいいヘアピンですね。どうしたんですか」
なんと言っていいのか迷っている忍田に対する助け舟なのか、嵐山がまっすぐに太刀川を見つめながら問いかけた。うしろで堪え切れずに佐鳥が吹き出す。あとで出水たちとまとめて絞めよう、と心の中の閻魔帳を書きつけながらも、太刀川は瞠目した。
この状況下でそんなストレート剛速球を投げてくる辺り、さすがボーダーの顔は胆力が違う。そういう問題でもないかもしれないが。
「わたしからの誕生日プレゼントなんです。太刀川さんに似合ってるでしょう」
答えに詰まる太刀川に代わって楽しげに説明する国近は、最初は純粋な好意だったのだろうがもはや単に面白がっているんだなと太刀川はため息をついた。
「まあ……その、なんだ。慶もいい大人なんだからそういうのもほどほどにしなさい」
ほどほどにって何だよと思いはしたが、こうした機微には疎い忍田の精一杯のフォローなのだろうと汲んで、太刀川は黙って頷いた。
忍田には既に当日に食事を奢られていたが、嵐山隊の面々からすれば、他の隊の隊長が誕生日だとかそんなことは知ったことではないだろう。しかしそこはボーダーの顔たる男だったので、嵐山は教科書のお手本のような笑顔を浮かべた。
「そういえばおととい誕生日でしたね、太刀川さん。プレゼントになるかわかりませんけど、さっき撮影用の花を分けて貰ったのでよかったらどうぞ」
「いや、うち花瓶とかないし」
「短く切ってグラスに挿せば大丈夫ですよ」
やんわり断ったつもりが、遠慮しているとでも思われたのか、やたらとさわやかに押し切られる。やわらかな色合いの花束は太刀川の腕の中にあるとずいぶんと違和感があったが、嵐山はまったく気にしていないようだった。
「国近のプレゼントには負けますけど。お誕生日おめでとうございます、太刀川さん」
◆
「愛されてるねえ、太刀川さん」
事の顛末を聞き終えた迅はひとしきり爆笑した後で、目尻に浮かんだ涙を拭いながらそう言った。言いながらもまだ笑いが治まらないようで、言葉の途中で噎せていたのでいろいろ台無しだ。
「まあ、かわいい女の子にもプレゼントもらえてよかったじゃん。うらやましいね」
「おまえは? 今日は一応祝いに来たんだろ」
「うん、まあそうだけど。でも太刀川さん、何か欲しいものある?」
「模擬戦したい。十本勝負」
「言うと思った」
聞きわけのない子供のわがままに呆れるような口振りで迅が笑う。
「訓練用トリガーで適当にってのでもよければ相手になるけどさ、そういうのじゃ太刀川さん満足しないだろ」
「当たり前だ」
「だから、こうして身ひとつで参上したんだよ」
「おまえ自身がプレゼントって? ずいぶん自信があるんだな」
「太刀川さんだって、期待してるくせに」
軽口の応酬をしながら、迅の指がするりと首筋に触れた。器用にシャツの釦をはずしていく。たしかに期待はしていた。夜ならば予定が空くという迅を部屋に招いたのは太刀川の方だ。
誕生日だからと言って特別なことを望んでいたわけでもないのだが、理由がある方が前置きをしなくてすむ。生来どちらかといえば気が長い方ではあるのだが、だからと言ってまどろっこしいのが好きなわけではない。
「いっぱい花を貰ったんだね」
迅はサイドテーブルに置かれたプレゼントを眺めて言った。風間から渡されたのは花の形を模したクッキーだった。撮影用の花束に、国近が寄こしたおもちゃみたいな花のピン。
言われてみれば、こんな風に花なんて貰う機会もそうそうない。
「やっぱり俺も贈るなら花がいいかな」
鎖骨の下あたりに口を寄せながら迅が含み笑う。何かを企んでいるような声に、またろくでもないことを考えているんだろうなと思ったが、そういうたくらみごとは迅の治らない病のようなものなので放っておくことにした。
翌日、朝よりは昼に近い時間に目を覚ますとすでに迅の姿はなかった。いつものことだが忙しないやつだ。とりあえず顔でも洗おうとぼんやりと洗面台に立ち、太刀川はゆっくりと瞬きをした。昨晩の迅の意味ありげな言葉をようやく理解して、自然と苦笑が浮かぶ。
洗面台の鏡に映る太刀川の、ちょうど鎖骨の下のあたりには、鮮やかな花のように赤い跡が残っていた。
